辞書で調べてみると、『逆境とは:不運で思うようにならない境遇』とありました。
私自身の認識としては、「あ~、今私は逆境の中にいる~」という感覚はありませんでしたが、たしかに、「これはまさにどうしようも変えられないことで苦しんでて、抜け出し方が分からない・・・」とは思っていました。
みなさんの中にも、「どうしようも変えられなくて抜け出したいんだけども、その抜け出し方が分からない」という場面に立たされるているっていう人がいるかもしれません。
今回の私の話は、そんな時にヒントにしてもらえると嬉しいなと思います。
『大丈夫です。
今は苦しくて抜け出せないと感じてたとしても、絶対に誰でも抜け出せるから安心して!』
と言いたい。
前回の「私がどうやって、一見難しそうな望み(=体育の教師になる)を実現したか」というお話には、もう1つ手前の話があります。
「なぜ、体育の教師になろうと思ったのか」ということに至るきっかけになった話です。
その頃の私にとってのいわゆる逆境にあたるものは、「親」でした。
どうやったって変えられない関係です。
親を選ぶこともできなければ、他の人とチェンジすることもできない。
物心がつく頃から、なんとなく、「この生まれた家とか、この親とか、自分とは合わない」と思っていました。
もちろん、育ててもらったこととか、やってもらったこととか、この世に産んでもらったこととか、感謝しないといけないよね~ということは分かりますが、神様はあえて自分とは合わない人をくっつけたんだなっていう感覚でした。
きっと、クラスメイトなら仲良くなるタイプじゃない、お互いに、というような感じです。
「あ~、本当は私、捨て子で、本当のお父さんとお母さんが別の人だったとかいう話だったらいいのに~・・・」とか思ってたこともありました。
もう、何がきっかけだったかは忘れてしまいましたが、中学2年生の時、母親から理不尽なことを言われたのだと思いますが、「私は悪くないのになんで怒られなきゃならんのだ!」と言い返して以来、母親とは一切しゃべらなくなりました。
前回の記事でもお話した通り、予定通り、高校卒業して浪人してた時、当然ながら家にいる時間が増えてきて、その、親とか家とかに対しての嫌さ加減が浮き彫りになってきて、「こんなんで勉強になんか集中できん!」と思い立ってすぐ、叔父に電話をして親戚の家で寝泊まりさせてもらうことにしました。
つまり、家出をしたんですね。
で、しばらくして、親から家に戻ってこいという話をされ、「じゃあ、1つだけ約束を守ってくれるなら家に戻る」ということになりました。
10日もたたないうちにその約束は破られました。
「もうやってられん!なんで私はこんな家に生まれたんや~!神様のバカ~!」と思いました。(笑)
くれぐれも間違えないでいただきたいのですが、
これは、
「私の親がどれだけひどい親やねん!」とか、
「親の心子知らずな、親不孝な子どもやな!」
という類の話では決してありません。
この話は、思うようにならないと感じているいわゆる「逆境」からどうやったら抜け出せるのか、というお話です。
その時なんですね。
「私は不運で思うようにならない境遇に立たされていて、そこからどうやって抜け出したらいいのか分からない」と状況だったのは。
その時の頭の中はこんな感じでした。
『なんでこんな親の元に生まれてきたんや・・・。
普通の家に生まれてたら私の人生はもっと違ってたはずや・・・!
腹が立って腹が立って仕方がない・・・!
でも、この親はどうやったって変わることなんかない・・・!
悔しい~・・・!』
あなたがこの状況に置かれたらどうしますか?
実は、私はこの状況に置かれたことが人生の方向性を変える大きなターニングポイントになったんです。
その頃、毎日どうしたもんかとモンモンと考えていました。
浪人してすぐの頃だったのですが、「どっちにしてもこんな家には長いこといてられん!」と思ったので大学受験をやめて就職しようと思ってました。
『でも、私の性格からしてOLみたいな仕事は好まない。
だからと言って何をしたらいいのやら。
普通の家に生まれてたら、私はこんなことで悩まなくても良かったはずや。
なんで、こんな家に生まれたんや~!』
という無限ループにはまってはグルグルしてました(笑)。
その時にブレークスルーが起こったんです!
頭の中はこんな感じでした。
『なんかムカついてきた・・・。
自分が嫌いだと思ってる人のせいで、なんで私が不幸にならにゃならん・・・!
なんで私が影響をうけなきゃならんのだ・・・!
自分が嫌いだと思っている人で頭がいっぱいになってることと、嫌いな人から影響を受けてることがムカつく・・・!』
ここからです!!!
『ということは!
影響を受けなければいいんじゃないか!
そもそも「この親のせいで私は不幸だ!」と思ってるけど、別の家に生まれて理想の親の下で育った 私だったとしたら何が違うんだろうか!?
もっと幸せを感じれていたかもしれない!
もっと自分とか自分の人生にとか自信を持てていたかもしれない!
好きなことを好きなようにやれていたかもしれない!』
『ちょっと待てよ!
これって、私が欲しかったものって、物質的なものじゃなくて自分の感覚の違いじゃない!?
で、今、頭の中でイメージしているのと同時にその感覚って感じられているじゃないか!?』
『ということは!
理想とする家庭で育った私として今から生きればいいんじゃないか!
だって、欲しいものって、もう自分の中にすでにあるってことが分かったやん!』
つまり、これまでの私は勝手に「不幸な自分」のキャラクターを自分で選択してただけだったってことに気づいたんです。
これ、すごくないですか!?
自分の置かれている状況は何一つ変わってないのに、頭の中が180度ひっくり返ったんです。
そこからの頭の中はこんな感じです。
『じゃあ、過去の体験は一切関係ないってことか。
だったとしたら、どんな自分でいることを採用しようかな。
まずは、自分が理想の家庭で育ってきた自分だとして得られた感覚(安心感とか、自信とか、希望とか・・・)をすでに持っている自分で今から過ごすことにしよう。
『「好きなことを好きなようにやれていたかもしれない!」って思ったけど、じゃあ、そのやりたいことって何なんだろうか・・・。』
で、そこで、私がこれからの人生の時間を使って何をしたいのかということを考えてみたんです。
『何をしてもいいし、何をしなくてもいい。
なんでもできるし、なんでも揃うとしたら私は何をしたいんだろうか。』
「人生のピーク」と私が自分で勝手に呼んでいる中学1年生の頃の私がいます。
その頃の私はどんなのだったかというと、それは確かな感覚なのですが、特別な何か(お金とか地位とか名誉とか能力とか)を所有していたということではなく、感覚(精神的にというか)がこの上なく成熟していた感覚があったんです。
(※これについての具体的な話はまた別の記事でお伝えしようと思います。)
この感覚があれば、何だってできるし何にだってなれるって分かっている感じです。
で、これは私が特別なんじゃなくて、誰もが持ってて、誰もがそうあれるということも分かっていました。
だから、私は、自分の可能性も信じているし、だからこそ、他人の可能性も信じられる。
で、『それを伝えたい』と思いました。
これからの自分の人生の時間を使って。
でも、こんな言い方をしてもなかなか伝わらないだろうことも肌で分かるので、「私の力を使って他の人の能力を発揮するお手伝いをしたい」という言い方をしてきました。
でも、自分の言葉で表現するとしたら本当は↑のような感じになるんです。
で、それを伝える手段として何を使おうかと考えました。
そこで出てきたアイデアが、「中学校の体育の教師」だったんです。
まず最初に出てきたのが、
『これまで私はバスケットボールという競技に育ててもらった。
バスケットボールを通して色んなことを知り、学び、バスケットボールをやっていなかった自分ではできなかったであろう体験をしてきた。
だから、バスケットボールを通して伝えられるような仕事に就けたらいいな。』
でした。
次に出てきたのが、
『でも、普通の会社員をしながらバスケットボールに関わるとなると、関われる時間が限られるからそれがメインにはならない。
学校の先生になって部活で顧問としてバスケットボールに関わるのが一番長く関われる。
学校の先生になろう!』
じゃあ、次は
『小中高大、どの校種にするのか。
小学校は深い話をするにはまだ幼い時期かもしれない。
高校生以上になってくるとすでに「自分」が確立されてきている。
一番影響を与えられるのが中学という多感な時期。
その時期に、それぞれの可能性を発揮するのに必要なことを伝えたい、だから中学校の教師になろう!』
次は、何の教科の先生になるか。
『学生時代に自分が好きだったのは数学。だから数学の先生もいい。
でも、座学の授業よりも、集団の中で自分を表現する機会が多い体育の授業で、しかもスポーツを通じての方が私にとっては伝えやすい。
だから、教科は体育にしよう!』
こんな流れで私は苦手だった体育という教科を選択したんです。
中学校の体育教師になるのは、私が運動が得意だったからではなく、私が人生の時間を使ってやりたいことの手段として最適だと考えたからなんです。
ブレークスルーが起こってからここまでの展開は一瞬でした。
「中学校の体育の教師になる」ということが自分の中で決まってからは、実務的なことを決めていきました。
『まず、「中学校の体育の教師になる」には、今現代の日本社会では教員免許を取る必要がある。
ということは大学に行く必要がある。
ということは、学費が必要になる。』
その当時の私が思いついた手段は2つ。
『1つ目は、自分で働いて学費をある程度溜めてから受験をする方法。
でもこの選択肢の場合、働きながら、受験勉強もして、体力作りもして(体育の教科を選択するということは実技試験もあるので)となると、途中で嫌になって挫折する可能性がある。』
2つ目は、親に頭を下げて学費を出してほしいとお願いすること。(そもそも、大学受験はするつもりでいたので改めて)
『これなら、受験勉強とトレーニングの両立は可能。
だけど、理不尽なことをしたのにごめんなさいも言わないような大嫌いな親に対して頭を下げなければならない。』
私が選んだのは2つ目の選択肢でした。
「理不尽なことをしたのにごめんなさいも言わないような大嫌いな親に対して頭を下げなければならない」と言いましたが、私にとってはもう、そんなことどうでもいいことでした。
つまり、その時の私は、逆境から抜け出していたんです。
「逆境から抜け出す」ってどういうことかっていうと、置かれている状況が何も変わっていないのにも関わらず、「苦しい」→「何とも思わない」に自分の感覚が変わるってことです。
その後、実は、置かれている状況も変わったんです。
それまでは約5年間、一言も会話することがなかった母親ともそれまで何もなかったかのように普通に会話をするようになったし、親との関係も変わりました。
周りにいる他人も置かれている状況も、自分の感覚が変われば後から勝手に変わっていくんです。
逆境から抜け出したいと思った時、やることは、他人や状況を変えようとすることよりもまず先に、逆境だと感じているその自分の感覚を180度反転させてみると抜け出せるってことなんです。
「180度反転」を具体的に言うと、嫌な現実から「自分が嫌がっていることは実は何なのか」ということを明確にし、そこから180度反転させて「本当の望み」を見つけることです。
私の場合は、
「嫌なこと」:嫌いな人から影響を受けて、自分がやりたいことをやれないこと
「本当の望み」:他人の可能性を開花させたい
でした。
ここまで自分の本音が見えてくると、それまでに信じていた考えがおかしな方程式だったっていうことが分かります。
「親のせいで他人の可能性を開花させることができない」
↑↑これって、客観的に見てみるとおかしいですよね。(笑)
他人の可能性を開花させるのに、親なんか一切関係ない。
このおかしさに気づけたら、逆境だと思ってた場所から抜け出せるんです。
で、、、
これって、誰にでもできることだっていうことなんです。
言うまでもなく、そこからの人生はそれまでの人生と大きく変わります。
もちろん、望んだ方向に。
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