次は実績と能力について。
「体育の教師をやってた」という話をすると、まぁ、ほとんどの人が「運動神経がよくてスポーツが得意だから先生になったんだろうね」という風に思います。
けど、私の高校時代を知っている人からしたら、とんでもない話です。
高校時代の私は、小学校4年生から始めたバスケットボール部に所属していましたが、ほとんど試合にも出られず引退しました。
試合に出られないどころか、練習もこなすのがいっぱいいっぱいで自信を完全に喪失していた時代でした。
だから、高校時代の私を知る人からすれば、「他のメンバーがなるならまだしも、なんで、よりによってあんたが体育の教師!?」と思っていることでしょう。
つまり、スポーツが得意でとか、競技で高い実績があったとかいうわけでもないのに、体育の教師になることを決めて、実際になったわけです。
まぁ、一般的に考えればこの状況で誰も体育の教師という道は選ばないでしょうね、という状況にありました。
高校時代は「試合に出られないどころか、練習もこなすのがいっぱいいっぱいだった」と言いましたが、練習内容がきつくてついていけないという意味ではなかったんです。
中学校の時代は、1年生の頃から先輩たちに混じって試合に出ていました。
その時代のバスケットボールの試合形式は、今の4クォーター制ではなく、前・後半制の15分ハーフの試合形式でした。
だいたい、フルで出場していたし、練習試合になると、何試合もしていたので、一日中走り回っていたわけです。
練習も、中学時代の方がしんどいメニューをこなしていたし、高校の練習の方が人数的にも多かったので自分の番が回ってくるのも遅いので、練習内容がハードになったからついていけなくなったわけではなかったんです。
つまり、中学時代は最低でも15分のゲームに出続けるだけの体力はあったのに、高校時代の私は3分ともたない状態で、もっと言えば、練習を始めるジョグの時点で全身が筋肉痛になって、1本ダッシュすれば100m走を10本ぐらい走り終わった後のような疲労感を感じ、足が踏ん張れなくて切り返しやステップが思うように踏めないような状態でした。
急にこんな状況になれば明らかにおかしいと分かったと思うのですが、徐々にこんな状態になっていってたので、違和感を感じてても、「トレーニング不足かな?」とか「体重が増えてきて身体が重くて動きづらいのかな」と最初は思っていました。
つまり、自分の努力が足らなくて身体の動きが悪いんだと思ってたんです。
だから、その当時の私は、自分を責めていました。
でも、一生懸命やればやるほど身体のしんどさが増していく。
できてたことができなくなっていってて、もう、自分でどうしたらいいのかも分からなくて、ちょうどそんな時、3人いた顧問の先生のうちの1人になんか腹の立つことを言われたんですよね。
それで、辞めてやろうと思いました。
で、小学校時代からお世話になっている先輩に「辞めようと思ってる」ってことを伝えたら「あと1週間やってみてまだ本当に辞めたいと思うなら辞めたらいい。あと1週間だけやり。」って言われたんです。
それで、あと1週間だけやろうと思いました。
で、1週間続けたら、「辞めるのはいつでもできるから、あともうちょっとだけ伸ばしてみよう」って思ったんですね。
それでズルズル続けてたら、ある時、風邪気味で調子が悪くて、普段なら風邪で病院に行くことなんてないのですが、近くの病院で診てもらうことにしたんです。
そこで、「血液検査しようか。」と言われました。
風邪で通常、血液検査することにはならないと思うんですが、そういう判断を病院の先生はされたんですね。
そこで、言われたのが
「スポーツ貧血っていうのがあってね、足の裏に衝撃がかかる陸上とかバスケットボールとかっていうスポーツに良くあるんだけど、衝撃によって血液中の赤血球が壊れてしまって貧血状態になってしまうのがスポーツ貧血っていうんだけど、それになってるね。もし、部活が厳しくてやめられないんだったら診断書、書いてあげるよ。」
でした。
その先生の診断に私は救われたんです。
その時に私は
「あ~、私の努力が足らないからだけじゃなかったんだ。」
って思いました。
で、それまで私は、自分のことを責め続けてきたので
「もう自分を責めなくていいんだな」
と思えたんですね。
その時の病院の先生が、血液検査が必要だと判断してくれたこと、スポーツ貧血のことを私に説明してくれたこと、診断書書いてあげようかと私の置かれている状況をおもんばかってくれたという先生のその思いやりが、私を救ってくれました。
「今はやめようと思ってないので、診断書は大丈夫です。」
と私は返事しました。
そこで、自分が辞めたくないと思っているんだなってことを認識できました。
辞めることはやめにしましたが、結構ひどかったみたいなので、そこから3ヶ月間プレイをせずに見学することになりました。
そのことを顧問の先生に伝えると、
「お前が貧血?」
という言葉が返ってきました。
この言葉の意味はおそらく、その先生には「貧血=華奢な人がなるもの」というイメージがあったのでしょう。
その頃の私は今より太っていてごつい体型だったので、「お前が?」という言葉がでてきたのだと思います。
その言葉にも正直傷ついていたと思いますが、誰にも言えませんでした。
それまで本当につらい思いをしてきたので、その苦しさを理解してほしかったし、労ってほしかったのだと思います。
苦しかったというのは、理解されなかったことです。
貧血だと診断されるまでは、周りのチームメイトにも「さぼっている」と思われてました。
外練の日には、坂道のある学校周りを何周も走るいわゆる外周というメニューがあったのですが、周回遅れで私はいつもゴールしていました。
ある時、先にゴールして次の練習場所に向かっているはずの先輩が私が走っている姿を見に来て「ほんまにしんどそうやな」と言ってきたことがありました。
これは、どういう意味かというと、「ゴールするのが遅いのは、さぼって手を抜いて適当に走ってるんじゃないか」と思われていたということです。
今でも覚えている悔しい場面の1つです。
自分としては、前までの自分ならできてたはずのことが理由も分からずできなくなっている状態がすでに悔しさでいっぱいなのに、人からそれをさぼっていてできないんだと思われている悔しさは相当の悔しさでした。
貧血に対しての理解って、指導者も選手も現場レベルでまだまだ全然だなって思います。
貧血のしんどさは、なった人にしか想像できないでしょう。
今なら、あんなしんどい状態でよく毎日やってたなって、自分のことを褒めたたえることができます。
貧血って、身体の症状だけじゃなくて、やる気が出なかったり集中力が続かなかったりと精神的な影響も症状として出てきます。
貧血状態って、本来なら体の隅々まで行きわたっているはずの、必要な酸素や栄養素が上手く運べなくなっている状態なので、その必要な酸素とか栄養素が頭にも行き届いていないということです。
集中力が保てなかったり気持ちが上がらなかったりするのは当然のことだと今なら分かりますが、その知識がなかった当時は、自分の精神力が弱いからだと思って自分を責めていました。
そんな中で、貧血だと分かって、励ましてくれる先輩もいました。
「自分も貧血だったんだけど、薬飲んだらちゃんと体力戻るから大丈夫やからな。」
って言ってもらいました。
けど、実際は、ましにはなったけど、体感的には身体は完全には戻りませんでした。
よく考えてみると、私は、そもそもあんまり身体の作りが丈夫ではなかったのを今、思い出しています。
幼稚園の時に私は、心臓の手術をしました。
右心房中核欠損という病気で、生まれた時にはみんな心臓に穴が開いていて、それが自然と塞がっていくんだけど、それが塞がらないことがある。
その穴をふさぐ手術を幼稚園の時に受けたんです。
そんな珍しい病気じゃないし、運動制限もない。
だから、私としては大したことないって思ってきましたし、今でもそう思っています。
でも、思い返してみると、小学校の時から何度となく思っていたことがあります。
「みんなはすごく軽そうに身体を動かしているな~。1回でいいから誰かと身体を入れ替わってその感覚を味わってみたい!」そう思ってました。
そう考えると、身体の作りが私の場合、そもそもスポーツ向きではないのでしょうね。
そうやって、高校時代に身体がボロボロの状態だった私は
「もう、一回休憩したい!」
と思って、意図的に浪人することを心に決めたのです。
もしあなたが、そんな高校生活を送っていた私の人生を代わりに生きなくてはならなかったとしたら…と考えてみてください。
卒業後の進路、あなただったら何を選びますか?
きっと、100人中99人は体育の教師の道は選択しないですよね。
で、100人中の1人が私、だったんですね、きっと。
そんな私がなぜ、「体育教師になろうと思ったのか」という話はまた別の機会でお話するとして、
そんな私がなぜ、「体育の教師になれたのか」というお話をしてみたいと思います。
100人中99人の人は、おそらく、「こんな私じゃ体育の教師にはなれない」と決め込むんじゃないでしょうか。
そう思ったら、まず、なれないですよね。
なので、実際になれた私の発想はどうだったかというお話をしてみたいと思います。
私も実際の所、体育教師になろうと決めた時に色々できなさそうな理由が浮かんできました。
それを1つ1つ消していく作業をしました。
まず浮かんできたのは、
「なれるんかな?試験に受かるんかな?」です。
「お前はいらない」そう判断されてなれなかったとしたら、それは本当に私はなるべき人材じゃなかったんだなということで自分も納得いくのだろう。
でも、まだ今の時点でそれは誰にも言われていない。
ということは、「君にはぜひなってもらいたい!」と言われる可能性も0ではない。
ということは、「お前はいらない」と言われてから考えれば良いことで、言われてないのに今の時点で無理だと決めつけてやりたいことをやらないのは訳が分からないよね~。
という結論に至りました。
次に出てきたのが、
「こんな私が体育の教師になりたいと言ったらみんなになんて思われるだろう」です。
もし、周りの人に笑われたり批判されたりすることが嫌でやらないという選択をして、私が教師にならなかったことを後から後悔したとしたら、その周りの人たちは私の人生の責任を取ってくれるのかって言ったら取ってくれるわけがない。
でも、例え、周りの人から笑われたり批判を受けたとして、それでも自分のやりたいことができていたとしたら、別に何の損も私はしない。
だから、人の目を気にして自分のやりたいことをやらないなんて、何の意味もないことだな。
自分の人生に責任を取れるのは自分でしかない、という結論に至りました。
で、実際に私は教師になりました。
つまり、これは、過去に実績や能力があったかどうかっていうことは、望みを実現するのに関係ないってことなんです。
必要なことで今できないことは、これからできるようになれば良いだけの話です。
教員になれなかった人になくて私にあったものは、実績でも能力でも学歴でもなくて、その1つは、自分の望みを許可できるかどうかの「許可力」なんです。
望みに対する許可力においては、もっと言えば、教師になることを許可すると同時に、私は自分にこんなことも問いかけていました。
「本当にやりたいことは何?実業団でバスケットボール選手をしたり、プロのバスケットボール選手をやりたかったら、そうしてもいいんだよ?」
でも、その問いかけに対して感覚的に、望んでいるのはそれではないんだなっていうことを感じ取りました。
だから、その選択肢を選ばなかっただけなんです。
他の人からすれば、体育教師になるのとプロの選手になるのとはわけが違うと思われるかもしれません。
でも、私からすれば、それに必要な過去の裏付け(能力とか実績とか)がないのはどちらも同じなんです。
目指す方向性・ゴールが違うだけで、現在地にいる自分からゴール地点まで自分を運ぶということは同じなんです。
だから、今の自分がどうかとかそれまでの背景がどうかとかなんて望みを叶えることには関係なくて、どこに行きたいのかというゴール地点を明確にすることが最も大事なことなんです。
私が感覚的に知っていたことは、こういうことなんです。
「もし、そうなりたかったら、それに必要なことは今から身につければいい。
どうやってなるかなんてことは考えなくて良くて、どうしたいかということが最も大事な事。
で、必要なことは、自然と起こってくる。」
「そして、自分が自分の1番の味方でいること。」
これを私はそれ以前から感覚的に知っていたんです。
決めたら自分を疑っちゃダメなんです。
そうなるという前提で今を生きるんです。
そうすると、「全て起こっている出来事は、自分のやりたいことに必要だから起こっている」っていうことが分かってきます。
その渦中の時にはそれが何になるのかなんて分からないんです。
実際、私も「中学校の体育の教師になろう」そう決めてからは何の迷いもなく毎日を過ごしていました。
それは、そうなると分かっているからです。
決めるって、そういうことなんです。
決めるってことが、とっても大事なんです。
今、置かれている状況がどうかということは、夢を叶えることに一切関係ないことなんです。
分かりやすいと思うので「夢」という言葉を使っていますが、私の感覚では「夢」っていう感覚ではありません。
「やりたいからやる、以上!」という感覚なんです。
やってみてどうなるかは、やってみないと分からないんです。
現実に起こる大抵のことは想像の範囲を超えています。
だから、やる前からあれこれ心配したとしても、あんまり意味がないってことなんです。
「やりたいからやる、以上!」
本当はシンプルで簡単なことなんです。
安心してください。
やりたいこと(夢)を実現するのは、実績順でも、能力順でも、学歴順でもないってことです。
私たちは、自分の人生を生きたいように生きていいんです。
あなたがもし、本当にそれをしたければ、誰に何と言われようが、やればいいし、できないことなんてないんです。
これは、やれそうなことをやろうとしている人ではなくて、やりたいけど難しそうだなって感じていることにチャレンジしようとしている人に向けてのお話です。
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