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一見、難しそうな望みを実現した時の話❶ 【vol.1】

先日、ある体育系の大学の先生とお話をする機会がありました。

その会話の中で、私はこういう質問をしたんです。
「学生さんたちは卒業後、どんな進路を選択されているんですか?教員になる学生さんも多いんですか?」

その私の問いに対して
「教員になりたいと思って入学してきた学生たちも、周りには有名な私立大学があって、教員採用試験を受けてもそっちの学生たちには勝てないからと諦めて別の道を選択することが多いですね。」と返ってきました。

そういう発想が一般的には多いのかもしれないなということが、私には最近やっと分かってきました。
というのも、私自身はそういう発想でこれまでの人生を生きてこなかったからです。


「そういう発想」ってどういうことかというと、他の人より能力や学歴が低かったり、実績がなかったりする自分では、夢は叶えられないよねって思ってるっていうことですよね。

私は事実、体育教師になりましたが、もしそういう発想の人が、私に代わって私の人生を生きたとしたら、きっと体育教師にはなれなかっただろうと思います。

これは、実績や能力や学歴の問題ではなく、意識の使い方の話なんです。

この話を知れば、「あっ、もしかして自分も諦めなくてもいいかもしれない!」と思う人が出てくるんじゃないかと思ったので、今回は私の話をしてみようと思います。

私が教員採用試験に受かった年は、採用枠が少ない時代で約30倍の倍率でした。

では、その年に不合格だった人たちが、私よりも能力や実績、学歴で劣っていたかというと、決してそんなことなかったはずなんです。
だから、私が体育の教師になろうと思ってその望みが実現したのは不合格だった人たちよりも能力や実績、学歴で優れていたからではなく、望みの叶え方をマスターしていたからなんです。
どういうことか1つずつお話していこうと思います。

まずは学歴についてから。

私は高校卒業後、1年目は大学受験せず次の年に1浪して、現役生よりも2年遅れで大学に進学してます。

私にはもともと、『学歴』とか、『現役合格』とかにこだわりがありませんでした。

2年遅れで大学に進学したのは、大学受験が上手くいかずに浪人したわけでもなく、他にどこも受からなくてそこしか行く所がなかったからしかたなく母校の大学に進学したわけでもなく、高校3年生の時に意図的に「浪人しよう!」と決めてそうしたんです。(※詳しくは次のブログ❷でお話してます)

実際、私はその大学の先生が言っていた有名私立大学にも合格していましたし、国立の神戸大学も受験していましたが、母校である天理大学を受験した時に、この学校に行こうと決めたんです。

ちなみに、これは「松川さんは頭が良かったんだねー」という話ではありません。
私が勉強が得意になったのは、副産物なんです。
いつ、なぜ、勉強ができるようになったのかの話はまた別の機会にお話したいと思ってます。

で、私が大学に進学する理由は、体育の教員免許を取得するためでした。

その目的を一番に考えた時に、当初の第一志望は、一番学費が安い国立大の神戸大でした。
でも、他にも国立大は色々あります。
その中でなぜ神戸大学だったのかというと、親に下宿する許可をもらうのにちょうど良い距離にあったからです。
家から近過ぎたら下宿する理由がなくなってしまうし、遠過ぎたら最初から通えないと分かっている所はそもそも受験させてもらえないかもしれない。
「最初は通えると思って通ってたんだけど、やっぱり下宿しないと無理だよね」っていう既成事実を作れる絶妙な距離にあったのが神戸大学でした。

2つ受けた私立大学は、すでに合格していましたが、進学するつもりはありませんでした。

どちらも家から遠い上に学費が高い。
その上、大学の先生の話に出てきたその有名私立大学は当時、まだ体育の教員免許は取得できる学部がなくて、教免は取れないけどスポーツに関わる勉強ができそうだということで産業社会学部にあったスポーツ経営学コース(だったかな?)を受けていました。

なので、その、今の学生たちが『そっちの学生たちには勝てないからと諦めて別の道を選択する理由』にしていた有名私立大学は私の中では4校中の最下位、第4希望の学校でした。

それと、その大学を受けたもう1つの理由は、『力試し』のためです。親にできるだけお金の負担はかけないようにしようと思ってたので、基本的には家で自学自習で受験勉強をしました。
結構頑張ってたので、どれだけの力が付いたのかなっていうことが知りたくて『力試し』で受けたんです。

なので、その有名私立大学を蹴って天理大学に行くって言った時にはさすがに、親にも友達にも「ほんまにいいのか?」って言われました。

推薦で天理大学の体育学部に進学する人は別として、受験をして進学をするならおそらく100人中99人くらいは天理大学よりもその有名私立大学を選ぶんだと思います。
しかも、浪人してるのに、です。

では、なぜ、私は天理大学を選んだのか。

本当の理由は「直感、なんとなく、」なんです。

人に説明する時にはそれらいしい理由で説明していましたが、本当の理由はそれなんです。
私が受験した4つの大学の中で学歴順に並べたら天理大は最下位です。
初めの話題に戻すと、学歴の高い順に体育の教師になれるとしたら、私は体育教師にはなれてないってことになります。

でも、、、

むしろ、私は『天理大学に行ったおかげで』教員になれたんです。

どういうことかというのを説明します。

大学4回生の時に初めての教員採用試験を受けましたが、その当時、採用枠が少ない時代で当然ながら受かりませんでした。

卒業してから1年目は、大学時代から勤めてたスポーツクラブと、幼稚園の3歳児保育のスクールサポーターの仕事を半年くらい掛け持ちをして働いていました。

そんな時、たまたま天理大学の進路課に小学校時代の友達のお母さんが勤めていて、私に「講師を探してる学校あるんやけど、行かへんか?」と声をかけてもらったおかげで、それまで縁もゆかりもなかった京都で講師をすることになりました。

私が選んだ大学が天理大学でなければ、その話は私には声がかからなかったでしょうし、そもそも小学校を卒業してから10年近く話をしていなかったその友達と、その当時に連絡を取り合う仲でなければ、友達のお母さんに私が体育の教師になろうとしてることは伝わらなかったでしょう。

どういうルートで望みが叶っていくのかなんて、誰にも分からないってことです。

その話には、まださらに、ラッキーな展開が待っていました。

私は、教員になるのに数ある教科がある中、体育という教科を選んでましたが、決して運動が得意な訳ではないことを自覚してました。

だから、自分が学生時代の体育の授業は、あまり好きではありませんでした。

すでにできることはできるけど、苦手な種目やできないことはずっとできないまま。

それをつまらないなって思ってました。

だから、自分が授業を受け持つのなら、できないことができるようになる楽しさを味わえる、そんな授業を創りたいと思って、自分なりに考えて構想を巡らしていました。

すると、講師で最初にお世話になった学校に、私が「まさにこんな授業がしたいと思ってた!!」と思うような授業をされている体育の先生がおられたんです。

しかも、その先生が親御さんの介護のためにお休みされるという理由で、その先生の代わりの講師として私が呼ばれて、私がその先生の担当されていた授業を引き継ぐことになったのです。

つまり、そのおかげでその先生の授業内容を詳しく知れたんです。

通常であれば、同じ学校に勤めていても、授業が被っていることが多くて見学に行ける機会はそう多くありません。

それが、その先生の授業内容を引き継ぐ関係で、資料をたくさんいただいたり、どんな意図で授業を組み立てられているのかという、その先生の頭の中『=発想』まで覗かせてもらうことができたんです。

私は、そのおかげで自分のやりたい授業を創っていくための礎を手にしました。
有難いことに、教師を辞めた今でも時々お会いさせていただくご縁をいただいています。

私がもし、『学歴』や『現役合格』にこだわっていたとしたら、おそらく、このご縁を手にすることはなかったでしょう。

そして、このご縁があったからこそ、「こんな素敵な授業をされる先生がいる京都で教師をしたいな」と思って、私は京都府で採用試験を受けることにしました。

当初、私は当然ながら、生まれ育った地元の奈良で教員になるつもりでいましたが、その頃、どこの地域も採用枠がほとんどない時代で、奈良は特に採用枠が少なくて、中学校体育の採用枠が0という年もありました。

さらに、「採用されずにずっと講師をして順番を待っている人たちがいっぱいいるし、女の人は結婚したら辞めるからとなかなか受からん。中学校じゃなくて小学校で採用されてから転勤願を出して中学校で勤めるルートを選んだ方がいい」と言われてました。

「そうですね~。」と口で言いながら、そうするつもりは微塵もありませんでした。
私は教師になることを決めた時に、小学校でもなく高校でもなく「中学校の教師」をやろうと決めていたからです。(これもなぜ、選択したのが中学校だったのか別の機会でお話してみたいと思います。)

私にとって大事なのは、採用されて正規職員になれるかどうかではなく、やりたいことができるかどうかなんです。
だから、やりたいことができるなら教諭でなくても講師でもいいし、奈良じゃなくてもどこでもいいという発想だったんです。

なので、教員採用試験も、たしか、3回不合格で4回目に合格したと思いますが、その都度、合格不合格に一喜一憂することはありませんでした。

たしかに、毎年採用試験を受けに行かなければいけないという煩わしさや、来年はどこかの学校で雇ってもらえるのかという多少の心配はありましたが、当時講師として仕事をしていたので、私はすでにやりたいことをやれているという認識だったんです。
だから、採用試験の結果に執着がなかったんです。

実は、望みを形にしていく時に大事なのは、どうやったらなれるかという「ルート」を考えることではないんです。
そして、結果に執着していない時ほど、結果って手に入るんです。

私は人生を左右するような大事な選択をする時ほど、自分の直感で決めてきました。
それは、昔からで、「こっちの方が良い感覚がする」方を選びます。

その直感に従って進んだからこそ、「教師になれた(=望みが叶った)」だけじゃなく、教師になった後にやりたいと思っていることに必要な出会いやチャンスや学びが得られる道に自然と導かれていったということなんです。

私が中学の体育の教師になろうと決めた時点で、実際に歩んできたこのルートは決して頭では思いつかないんです。

私が頭の中で描いていたのは、どうやったら教師になれるかではなく、「なった後に何がしたいか」というイメージなんです。

つまり、私が体育教師になれたのは学歴があったからではありません。
これは、夢の叶え方の話で、意識の使い方の話なんです。

~❷に続く~

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