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どうせやらなあかんことなら、望みのために利用しちゃえ!と思った時の話【vol.7】

教師時代に耳にしたことです。

ある先生が生徒にこう言ってるのを聞いた時、それはもう拷問でしかないな!(笑)と思った時のことです。

「勉強するの好きなヤツなんかおらん!やらなあかんことやからみんな我慢してやってるんや!」

私も中学校時代にそう思ってたとしたら、勉強ができない人で終わってたと思います。

私は、勉強するの嫌いじゃなかったんです。
むしろ、楽しいとさえ思ってる所もありました。
こう思ってました。

「スポーツって、身体動かしながら頭を使わなあかん。
 だからめっちゃしんどい。
 だけど、勉強って、身体は動かさなくていい、頭だけ使ったらいい。
 スポーツするより勉強する方が楽やん!」

小学校時代は、勉強に対してそんなに苦手意識も持ってなかったとは思いますが、別に好きでもありませんでした。

それがなぜ、楽しいとさえ思えるようになったかというと、自分の好きなことと関連させたからです。

これまでのブログでお伝えしてきたように、「この先輩たちに混じってバスケット(試合)ができたらめちゃくちゃ楽しいだろうな」のために「私は心機一転がんばりたいと思っていましたので、私の判断の基準はそれがだったんです。

心機一転頑張ろうと思って生活していると、初めての定期テストが近づいてきました。

自分に

「何が好きなの?」
「何が嫌なの?」
「何は得意で何が苦手なの?」
「で、それがどうだったらいいの」
「本当の本当は何が良いの?」

私、このままではヤバい・・・と思った時の話【vol.6】

と問いかけてきて、その頃になると、少しずつ自分のことが分かってきてたんだと思うんですね。

ここで、私が何を考えたかというと、

「この人(私)の性格からして、普段の生活の中で『これぐらいでいいか』って妥協するくせがついてたら、絶対に試合でも『これぐらいでいいか』っていうプレイをするに違いない。
それ、やな。
だから、それ、やらんとこう。」

そう、決めたんです。

で、これは、私が先輩に混じって試合に出るとして、それを思いっきり楽しい状態にしたいからです。

なので、テストで「これぐらいでいいか」をする自分が当たり前になってしまっていたら、試合に出た時にその自分が出てしまって思いっきり楽しめないだろうなと思ったんですね。

じゃあどうしたらいいかな、と考えた。

『100点目指せばいいんじゃないか!』

それが一番わかりやすいと思ったんです、私には。

目標点が60点なら40点、80点なら20点、90点なら10点、これぐらいは取れなくてもいい点数っていうのが生まれてしまいます。
それじゃ私の性格からして「これぐらいでいいか」は消えないわけです。
だから、目標点を100点にしてしまえば取れなくていい点数はないということになるので、「これぐらいでいいか」をやっちゃうとクリアできないことが分かります。
だから、勉強する時に妥協できない状態を作ったんですね、自ら。

ここでも、お伝えしたい大事なポイントがあります。

まず、それをできるかできないかは考えてません。
やりたいかどうかが基準なんです。

もう1つ大事なポイント。

「この人(私)の性格からして、普段の生活の中で『これぐらいでいいか』って妥協するくせがついてたら、絶対に試合でも『これぐらいでいいか』っていうプレイをするに違いない。」と言いましたが、この自分の性格を否定してないってことです。

たぶん、ここ、否定しちゃう人多いんじゃないかと思うんです。

否定して、その性格を直そうとしちゃう。

そうじゃなくって、どちらかというと、そのキャラを面白がって、そのキャラのままでも上手くいく方法はないかと自分の中のドラえもんに相談する感覚なんです。

この感覚、結構~、大事だと思うんです。

同じ行動を選択していたとしても、自分のキャラを否定しながらやるのと、肯定しながら面白がってこの感覚でやるのとでは、そこから生み出される結果は断然違ってくると思うんです。

自分の性格・性質を否定しないで、そんな私のままでどうやったら望む状態を生み出せるかを考える。

これは、苦手なことは克服しなくていいとかそういうことではなくて、「常に、今できる最善を尽くす」ということです。
アレができるようになってからベストを尽くそう、っていう姿勢では、永遠にベストを尽くせる状態なんかやってきません。
何かができるようになったら、今度はコレをできるようになりたいっていう新しい「今はまだできないこと」が見えてきます。

だから、できないことがある今の自分で、常に最善を尽くす。
それを毎瞬やる、っていう意味です。

もう1つ大事なポイント。

目標はあくまで手段であって目的ではない。
で、その目的と真の望みを明確にして、それを忘れてしまわないようにするってことです。

「テストで100点取ること」は目標。
だけど、その目的は「これぐらいでいいか」って妥協するくせを自分につけないこと。
で、それをやる理由は「私が先輩に混じって試合に出るとして、それを思いっきり楽しい状態にしたいから」です。

私たちがやっちゃいがちなのが、手段と目的を取り違えてしまって本末転倒になっちゃうってことです。

どういうことかというと、100点取ることが目的になってしまって、試合に出た時に楽しめない状態が生まれてしまっていては、私の場合、本末転倒になるってことです。

そのことを自分の中心にきちんと置いておく。

私が教師時代に担任をしていたクラスの子が、テスト勉強を頑張ったのに思うような点数を取れなかったために、落ち込んでやる気を失くしてしまっている子がいました。

この子に限らず、たくさんの学生さんたちは通ったことがある道だと思うんですが、これが起こってしまうのは、きっと、こういうことだと思うんです。

「思うような点数を取れなかった」ということは、最低でも〇〇点は取りたいと考えていたはずです。
ということは、目標は明確だったんです。

だけど、それを何のためにするのか、という目的が明確じゃなかったんじゃないかと思うんです。

だから、「最低でも〇〇点」が目的になってしまっていた。

だから、思うような点数がとれなかったら落ち込むし、結果(取れた点数)によって一喜一憂してしまう状態が生まれちゃうんですね。

では、私の場合はどうだったのか、ということをここからお伝えしていきます。

で、「勉強(=手段)」を通して私がやってみてこれが良かったなと思うことは、「自分を知れた」ことだと思うんです。
「自分を知るためのツール」としては、結構いいんじゃないかと思ってます、勉強って。

まず、私は自分の中のドラえもんとこんな風に相談しながら、どうするかを決めていたわけです。

「毎日部活して帰ってきて疲れてるし、家ではテレビも見たいから、できるだけ家で勉強する時間は短くしたいんだけど~…」
「でも、テストでは100点取りたい!」
「なるほど、じゃあこういうのはどう?」
 「学校には毎日通うよね、バスケットしたいし」

「うん」
「そうしたら、授業にも出るよね、毎日6h」
「うん」
「じゃあ、授業中に全部理解しちゃえば、家に帰ってからの勉強時間、最低限で済むんじゃない?」
「それいい!どうせ授業には出ないといけないんだったら、そうしよう!」

宿題は最低限の部分として、家でやっていました。
(もちろん、授業中に終わらせられるようなことはやって帰ります。笑)

で、家で気づくわけです。

「解き方、分からん・・・」

つまり、授業中にめっちゃ集中して先生の話を聞いて理解したつもりでも、自分1人で問題を解いてみると、できないことが見えてくるわけです。

で、「なるほど、私はこういう所でつまづくのか」ということが分かります。
で、もう一回教科書やノートを見直して、似たような問題の解き方を真似して、その宿題をやってみる。

それでも、次の授業で答え合わせをしたら間違っている所があるわけです。
で、また「なるほど、私はこういう所でつまずくのか」ということが分かります。

そうやって、失敗することによって自分のつまづきポイントを知っていくことができます。
つまづきポイントが分かれば、どこを修正したらいいのかが分かります。
そうすると、次の授業で、自分は「何を知りたいのか」が見えてきます。
つまり、次の授業を受ける目的が明確になるんです。
で、授業で「そういうことか~!!」となって、また家で自分1人でやった時に、解けなかった問題が解けるようになってたら「感動~!!」となるわけです。

それでまた、別の授業で気づくわけです。

「前の授業中に全部覚えられたと思ったのに、コレ、なんだっけ!?」

で、また相談します、自分の中のドラえもんに。

「私は覚える作業があまり好きじゃないんだよな~」
「で、特に、この作業をできるだけ家でやりたくないんだよね~」
「じゃあ、こういうのはどうかな?」
 「『私はこれを忘れますリスト』を作る」

「なるほど、やってみよう」

ノートの右端5㎝を『私はこれを忘れますリスト』スペースにして、授業中に「コレなんだっけ?」が出てくるたびに、そこにそれと、それについての説明文を、次の授業の時には忘れているであろう自分のためにメモしておいてあげました。

そうすると、次の私が「めっちゃ助かる~!前の私、ありがとう」となるわけです。

またまた、自分と自分の信頼関係は深まります。

で、ここでも大事なポイントがあってですね、これは何をやっているのかというと、「忘れないようにしよう」とするんじゃなくて、「忘れたとしても大丈夫なようにしておこう」という発想なんです。

忘れる自分のことをダメだと否定したとしたら、その自分を直そうとすると思います。
でも、その直し方って分からなくないですか?
分からないから、どうしようとなる。
でも、そんな自分が出てきたらダメだと思ってるから「また私忘れてるやん!」っていう自分が出てきた時に隠そうとする。

でも、すぐ忘れちゃう自分は変化してないので、必ずどっかででてきちゃう。
で、また隠そうとする。

これを繰り返しちゃうと、結局、何の対策も取れずにテストの日を迎えちゃうってことなんです。

そうすると、自分が覚えられていないことを他の人が覚えられているのを見てこう思いますよね。
「あの人は頭が良くて、私は頭が良くないんだ」

こうやって大きな勘違いが生まれていくんですよね、きっと。

できないことがある自分をダメな自分だと否定して、それを失くそうとするとこういう残念なことが起こっちゃうわけです。
大事なのは、できないことがあることをないことにしないで、きちんと受け止めるっていうことなんです。

それができたら、そのための対策を立てられて、「どうしたらいいか分からない」から前に進むことができるってことなんです!

話を戻します。

忘れちゃう自分のために対策を立てられた私は、テスト前1週間、部活が休み期間に入ってテスト勉強する時に気がつくわけです。

『私はこれを忘れますリスト』と、間違えた問題だけやればいいんじゃないか!?
だって、それ以外はもう、授業中に覚えられているか、できるようになってることだから。
なんとしても、家で勉強する時間をできるだけ削りたいわけです。(笑)

で、テスト1週間前になると、毎回テスト勉強計画を立てる時間がありました、たしか学活の時間で。

今思えば、これもすごく良かったですね、私にとっては。

『私はこれを忘れますリスト』と、間違えた問題だけやればいいんじゃないか!?と考えていた私は、まず、各教科で「私には何をできるようになる必要があるか」をリストアップしていったわけです。
次に、それをできるようになるためには「私にはどの手段を使えばいいか」、という勉強方法をリストアップしていったわけです。
で、その次には、それをやるためには「どのくらいの時間が私には必要か」ということを、書き出していったわけです。

すると、なんということでしょう!!

「家での勉強時間、全然足らんやんか~!」っていうことに気づくわけです。

学校で毎日6h授業を終えて帰ってきたらもう夕方です。
そこにごはんの時間とお風呂の時間を入れたら、もう、平日は3~4h、多くても5hくらいしか取れないわけです。

宿題もあって、提出物も仕上げないといけない、それ以外に、私がリストアップしたものをやる必要があるのに、全然時間が足らないってことに気がつきます。

だから、土日の休みの日にテスト勉強の時間を確保しなければなりません。
(ちなみに、その頃はまだ、土曜日は半日授業がありました)

そうして気がつきます。

「全然、家でテレビ見る時間ないやんか~!」(笑)

で、立てた計画通りにやってみると、また気がつきます。

「コレにはこんなに時間がいらない。でも、アレにはこの時間内ではおさまらない」

「じゃあ、どうしようか」

これの繰り返しです。

でも、だんだんと、これが私にとってはテレビを見ることよりも楽しいことになっていました。

で、いよいよテスト当日がやってきました。
「100点取れるように勉強してきたんだから、かかってこい!」
っていう気持ちでした。
なので、楽しみだったんですね、私にとっては。
今までやってきたことが、どれぐらいの結果になるのかっていうことが楽しみでした。
だって、100点取るつもりでいてますからね。

で、いざやってみるとまた気がつくんです。

「時間配分って、大事~!」

他にも、

「できるようになったと思ってたのに、解けなかった~!」

で、そうこうすると、テストが返ってきます。
それも、ワクワクしてました、私は。

で、気づきます。

「100点目指して取れるのはだいたい8~9割ぐらいなんだな」
ってことに。

つまり、100点目指して勉強したんだけど、実際には100点取れなかったんです。
でも、その結果に落ち込んではなかったんです、私は。
むしろ、次のテストでは100点取ってやるからな!っていうメラメラ(ワクワク)としたものが湧いてたと思います。

で、なぜ落ち込んでなかったのかを振り返って考えてみた時に、テストで100点目指すのは試合に出た時に思いっきり楽しめる自分でいるためだっていうことを忘れていなかったからなんだと思います。

勉強するのは、あくまでバスケットを楽しむためだったんです、私の場合は。

自分で立てた目標をクリアするために計画を立てる。
立てた計画通りにやってみる。
やってみたら計画通りにはいかないことが分かる。

最初に頭の中で描いているイメージには修正が必ず必要になってくるっていうことをテスト勉強を通して私は知ったわけです。

で、私はこれで学んだことを自分の本当の望みに自然とつなげていたと思います。

それで、これって、結局、全力でやってみないと分からなかったことだと思うんです。

「これぐらいでいいか」で、もしやってたとしたら、きっと私は、「本気じゃなかったから」と言い訳してたと思います、自分に。

全力でやってみたからこそ、自分のできないこと、自分の苦手なこと、他の人にはいらなくても自分だけには必要なことがあること、を認めざるを得ないなと降参できたと思います、いい意味で。

できないこと、苦手なこと、必要なことがある自分を受け止めた上で「どうしたいか」を考えないと、前には進めませんし、欲しい結果にはたどり着けません。

そのことを中学1年生の早い段階で知れたことは、すごく良かったと思います。

それで、やっぱり大事なのは、できないこと、苦手なこと、必要なことがある自分をダメな自分だと思わないことです。

ダメだと思ってしまうと、それがブレーキになっちゃうんです。
前に進もうとアクセルを踏んでいるのに、同時にブレーキを踏んじゃってる。
それでは、前に進まない。
めちゃくちゃ労力をかけて頑張って疲れ果ててるのに、結果が出ない。
っていう状態を生んじゃうっていうことなんです。

私は「きっと自分は覚えたりするの、人より遅い方だな」って認識がありました。
それをダメな自分だと捉えてたとしたら、それを直そうとしてたと思います。
が、私が考えたのは、こうです。

「覚えるのが人より遅いんだったら、人の倍、時間かければいい」
「人が1時間で覚えることを、私が2~3時間かけて覚えたって、覚えられてたら結局は同じやん」
「テストの点数には覚えるのにかかった時間なんて関係ない」

おそらく、勉強でつまづいちゃう時、そういう自分のことを「ダメな自分」だと勘違いして落ち込んじゃってるんだと思うんです。

私みたいにある意味、できないことを開き直って受け止めてしまえば、実は、その苦手だったことのレベルもだんだん上がってくるんです。
で、一夜漬けで覚えたことよりも、時間かけたことの方が忘れにくいってこともおまけでついてくるプレゼントとして受け取れるんです。

覚えるのに時間がかかるんだったら、どうだったら覚えやすいのか。
どうだったら「嫌」が最低限で済むのか。

これをやるためには、やっぱり、

「何が好きなの?」
「何が嫌なの?」
「何は得意で何が苦手なの?」
「で、それがどうだったらいいの」
「本当の本当は何が良いの?」

を自分に聞く必要があったんです。

で、そんな自分が「やりやすい方法・嫌じゃない方法」を採用してあげると、だんだん習得するスピードが上がってくるんです。
それは、どこでつまづくのか、どうやった時に自分が習得できたのか、っていう自分のパターンが見えてくるからなんですね。

こうやって、自分の扱い方・自分との付き合い方が上達してくるわけです。

だから、勉強はあくまで、「手段」です。

「目的」にすり替わってしまった瞬間に苦しくなっちゃうんです。

私の勉強法を真似したいと思ってくださる方はぜひ採用していただいたら嬉しいんですが、あくまでこれは「私のための勉強法」なんです。
あなたに合った勉強法は、あなたの中のドラえもんが最適な方法を教えてくれます。
ぜひ、あなたの中のドラえもんと相談してながらやってみてくださいね。

どうせやらなあかんことなら、望みのために利用しちゃえ!っていうお話でした。

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