以前、ある先生が
「あの先生についていけば、上手くなれるからね!」と生徒である選手たちにそう伝えている姿を見ました。
みなさんは、この光景をどのように捉えますか?
私は、「その発想で競技に取り組んでもおそらく上手くはならんやろ・・・」と思いました。
そりゃ、選手に「この先生についていきたい!」と思われるほど信頼を得られることは指導者としては嬉しいことですが、選手の立場に立ち返った時に「誰かに上手くしてもらう」という発想では、本当の意味で上手くはなれないですよね。
この発想は、自分を上手くするのは自分ではなく他人に任せます、ということです。
自主性ではなく、受け身。
言われたことはやろうとするかもしれませんが、自発的には行動できません。
ということは、その選手本来のポテンシャルを最大限引き出すことはできません。
「自分が上手くなるために、この先生の指導を根こそぎ活用してやる!」
これなら、主導権は自分にあります。
自分を上手くできるのは、自分です。
「最近の選手は、指示待ちで自主性が足りない!」
こんなことがよく言われたりしますが、「あの先生についていけば、上手くなれるからね!」という言葉は大人側から発せられています。私たち大人がそう仕向けていないかどうか、改めて見直さなければならないな、と思わせてもらえた気づきでした。
指示待ちになっている選手は、まず、自分がしたいことを自分で決める習慣が当たり前になっていない可能性があります。
こうしなさい
これをしちゃダメ
私もよく言ってしまっていましたが、まずは「自分の意志ありき」がチームの当たり前になっているかどうかって、選手やチームが自ら伸びていくことに大きな影響を与えます。
当たり前の前提を何にするか。
この選択ってとっても大切ですね。
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