課題の分離【怒り】

最近、アンガーマネジメントという言葉をよく耳にするようになった。

最初に言っておくと、私自身はアンガーマネジメントを深く学んだわけではないので、それそのものがどういったものなのかはよく知らない。

だけど、そんな人の方が圧倒的多数なわけで、その視点でアンガーマネジメントについての情報を見聞きした時、聞く人によってはアンガー(怒り)の扱い方をとり間違えてしまう危険がはらんでるな、と感じることがある。

競技の場面で、心の状態がパフォーマンスに大きな影響を与えることは言うまでもなく、スポーツをする上でも怒りの扱い方はとても大事。

競技中、イライラが原因で気持ちが切れてしまったり、精細さをかいて雑なプレイになってしまったり、的確な判断が下せずにミスに繋がったりと、自分の感情がコントロールできなくて納得のいくパフォーマンスが発揮できなくて現状を変えたいと思っているプレイヤーも少なくないはず。

次のステージに進んで、自分のパフォーマンスの発揮レベルを上げたいなら、その課題は避けては通れない壁となる。

だけど、感情の扱い方を間違ってしまうと、逆効果になることもある。

 

「怒りを抑え込む」ことで終わっちゃいけない。

 

「怒りを感じること」は悪いことではない。「怒り」そのものも悪者ではない。ただの感情。でも、そのただの「感情」には、人を動かすだけのパワーがある。「感情」=エネルギーの塊。

怒りをパワーに変えて、良いパフォーマンスに繋げられている人は、もうここのステージの話は課題とはなっていないはずで、怒りによってパフォーマンスを左右されている時には、「怒り」というそのエネルギーの塊を抑圧すればするほど溜まっていってやがて大きくなる。

では、競技中に、感じた怒りを吐き出せと言っているのかというと、違う。

その時に怒りを吐き出した方がいい場合もあるし、そうでない場合もある。

それは、その人、そのタイミング、その状況によって違っていて、どうすればいいのかは本人の中にしか答えはない。

パフォーマンスを左右されてしまうほどの怒りが湧いてくるのは、実は自分の中にそのスイッチがあるということ。

そのスイッチを持っている限り、競技中に何らかの出来事をきっかけにパフォーマンスが落ちてしまうという可能性がある状態が続いていくということ。

その場で一旦怒りを飲み込んで鎮めて、運良くミスを回避できたとしても、少なからずその影響を受けてパフォーマンスは落ちている。

つまり、今のステージに留まり続けることになる。

次のステージとは、自分の中の怒りによってパフォーマンスが左右されることなく怒りが能力発揮と無縁のステージ。

そのステージに移動するためには、怒りを抑え込むだけじゃなく、きちんと向き合って「昇華」させる必要がある。

 

ここでやっと出番なのが、今回のタイトル「課題の分離」。

 

怒りを昇華させるとは、どうすればいいのか。

これをするには、自己対話が不可欠。前回の記事にも書いた、自分の内側から湧いてきている声にまずはきちんと耳を傾けないとできないこと。

本当は何に怒っているのか、本当は何を望んでいるのか、見えていない本当の部分に焦点を当てていく。

まずは、怒りのスイッチを見つけていく。

「怒りが湧いた時に表面的に感じている思い」をスタート地点として、さらに深く本音を探っていく。

一見、他者や環境に対して怒りを感じているように見えて、その実は、自分に対しての怒りだったりする。

そして、最終的に奥底に隠れているのが、自分が無視し続けてきた本当の「望み」だったりする。

事例を挙げてみる。

 

相手がいて、モヤっとしたり、イラッとしたりした時には大抵、課題の分離が上手くいってない。

 

例えば、横柄な態度で接客をされた、とする。

「あ〜、この人は接客技術が未熟なんだな」という捉え方であれば、対して気にならない。これは、相手の課題であって自分には関係のないことだという認識。

だから、感情に左右されることなく、自分の望みを形にするための行動が冷静に取れる。

これが、起こっている事象は同じでも、視点のフィルターが違えば捉え方、感じ方が変わって怒りが湧いてきたりして、自分のとる行動・判断つまり、パフォーマンスに影響を及ぼす。

ここで怒り任せにとっている行動は、望みを形にするための行動ではなく、自分が被害者という視点で自分を守るための行動となる。だから、結果的に自分の望んでいたものが手に入らないで終わってしまう、という結末になりやすい。

これは、怒り任せに動くのが、「良い」とか「悪い」とかいう次元の話ではない。

自分の本来のパフォーマンスが発揮できて、望みを形にするためには、という話。

では、怒りが湧いてきている時、何が起こっているのか。

自分の視点のフィルターが、「私は被害者である」という被害者意識を通して目の前の起こっている事象を見ている。

「相手は私のことを粗末な扱い方をしてくる」という風に感じて、怒りが湧いてきたとする。

この怒りは、「私は粗末な扱い方をされるような存在だ」ということをリアルに信じていない人には湧いてこない。

例え、相手にその意図があったとしても「この人は事実が見えてないんだな」という捉え方になって、これもまた、相手の課題として事象をスルーできてしまう。

つまり、実は、(この事例の場合においては)怒りを感じるのは、「粗末な扱い方をされるような存在だ」と信じている自分の自分に対する視点に課題がある。

スイッチは、そこ。

何らかの出来事をきっかけになって、そのスイッチが押されて、「また自分は粗末な扱われ方をした!」と感じる。自分にとっては粗末に扱われる存在になるのは嫌なことなので、イラッとする。

ここに「気づいていない思い込み」がある。

だから、怒りのスイッチを手放したいなら、こんな風に自分のことを観るのをやめれば良いということ。

繰り返すが、この怒りは、「私は粗末な扱い方をされるような存在だ」ということをリアルに信じていない人には湧いてこない。

つまり、「私は粗末な扱い方をされるような存在だ」という風に自分のことを観ているのは、他人ではなく、自分自身だったということ。

つまり、これは相手の課題ではなく、自分自身の課題だったんだと気づくことができると、実は、途端に自分の力を取り戻すことになる。

相手の課題は相手にしか解決できない。

だから、「あなたのせいで私は気分を害している」と感じている時、相手を変えようとする。が、相手を自分の思い通りに変えることなどできない。人を変えられるのは、本人だけだから。

だから、このような捉え方をしている時には、あなたが変わってくれないから、私は私の望みを叶えられない、と思っている。

つまり、「自分にはその力がない」と言っているのと同じこと。

それが、相手の課題ではなく、自分の課題だという見方ができたなら、自分にその力を取り戻すことになる。

「そうだ、自分の望みを叶えてあげられるのは、自分だったんだ!」と思い出すことになる。

だから、他人には不平不満をぶつけるのではなく、協力を求められるようになる。

被害者意識を抱いている時、何が起こっているかというと、実は、自分のパワーを相手に明け渡してしまっている状態だ、ということ。

「自分は力のない小さな存在だ」というフィルターを通して自分のことを観ている視点。また、同時に、自分からそんな風に観られているという感覚がそこにはある。

この状態で起こっているのは、「自分に対する不信感」。

相手に対して怒りを感じているのは錯覚で、実は自分自身に対して怒りを感じている。

相手に対して不信感を感じているのは錯覚で、実は自分自身に対して不信感を感じている。

ここで、自分は本当は何を望んでいたのか、自己対話する。

相手に大切な存在として扱って欲しかった…?もう一歩踏み込んで対話してみると、見えてくるのが、「私は私に大切な存在として扱って欲しかった」という声。

誰かに大切にされたとしても、自分が自分のことを大切に扱わない限り、この望みは満たされることはない。

自分の本当の声に気づくことができたら、自分がその望みを叶えてあげる。

そうすれば、目の前で失礼な態度で接客してくる相手に対しても、内側から湧いてくる感情が変わってきて、その後の選択、判断、行動が変わってくるから、生まれる結果も変わる。

起こっている事象は、自分の本当の望みを気づかせてくれるラッキーな出来事でしかない。

その視点で出来事を高い視点から捉えることができたら、恐いものは一つずつ、宝物へと姿を変える。

これは、「怒りを抑え込むだけ」では手に入らない。

競技の場面でも、自分の最高のパフォーマンスを発揮するために活用してもらえたら、と思う。

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