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私の中のドラえもんはどんな手を使ってでも私の望みを叶えてくれていた、世にも恐ろしい話【vol.13】

いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。
今回の話は、私が予想もしてなかったことを言われた時のことが発端です。

私のブログを読んでくださっている読者の方から、こんな風なお声をいただいたんです。
しかも、一人じゃない・・・。

「松川さんのブログを読んでて、『うんうん、すごく良く分かる!』って思う。
 自分の置かれている境遇とすごいリンクするトコある。
 だけど・・・、
 松川さんの性格だったらそう思えるのかもしれないけど、自分の性格だと難しいって思う。
 できない人の気持ち、分かってほしい。」

いや~、この意見が衝撃だったんです、私にとっては。

私、できない人の気持ち、痛いほど味わってきた・・・
こう思う人は、私をできる人だと思ってくれてるのだろうか・・・笑。

実は、私も昔、よく思ってたことなんです。
YouTubeの動画見たり、本を読んだりして。
あなたにはできたかもしれないけど、私には難しいんだよ~!って。

でも、まさか、私がそんな風に言われる立場になるなんて微塵も想像してなかったんです。

だって、私、全然すごい人でもなんでもない。
だから、私ができるってことはみんなもできるってことだって思ってる。

で、今回、つまりこれって、この2つの両方の立場の気持ちを私は体験できたってことです。

きっと、私が「いいな~羨ましいな~」って思って見てたYouTubeとか本とかの作者さんたちも、今の私と同じような気持ちで「あなたもできますよ」って言ってたんだなってことが、今ならよく理解できます。

ということは、やっぱり、このブログを読んでくれているあなたも、いつかは私と同じように「あなたはできていいですね~」って羨ましがられる存在になるに違いないってことです。笑

前回のブログでこんな風に書きました↓↓↓

今回は、イメージの修正を使って、自分自身のパフォーマンスだけじゃなくって、他人のパフォーマンスとかゲームの展開とかっていう、自分以外のことにもイメージの力が効果を発揮した時のお話です。

これ、できたら、すごいと思いませんか?

でも、これって、特別なことじゃなくて、誰にでもできることだと思うんです。
だって、すごい人じゃない普通の私ができたんだから。
私が野球の大谷選手やイチロー選手みたいに偉業を成し遂げたようなスーパースターだったとしたら、自信を持って言えなかったかもしれません。
でも、そうじゃない。
だから、あなたもできます、絶対に。

他人の発言やゲーム展開までイメージ通りになっちゃった、イメージの力のすごさを思い知らされた時の話 vol.12

そう、その通り!↑↑↑
私が国民的なスーパースターだったとしたら、きっと「あなたもできます、絶対に」なんて、自信を持って言えない。

これまでのブログで何度も登場している、私が「人生のピーク」と勝手に呼んでいる中学校1年生の時の私がいます。
その時の私のままでずっといられたとしたら、もしかしたらスーパースターになれてたかもしれません。笑
でも、「ピーク」という言い方をしてるのはなぜか、というと、そこから何度も谷底に落ちているからです。

何度も谷底に落ちているということは、逆を返せば、そこから何度も這い上がってきているっていうことでもあるわけです。

だからこそ、谷底から抜け出して望む世界に移動するために「これはおすすめだったよ」「これはあんまりおすすめできないよ」っていうことを実体験からお伝えできる、というのが私の強みの1つであると思っているわけです。

だから、安心してください。
「できない」「難しい」と感じているあなたの気持ち、痛いほど味わってきましたから。
あなたも絶対、望む世界に移動できますからね。

で、何度も 谷底→抜け出す→谷底→抜け出す ってやってきたおかげで、これが分かってきた気がするんです。

❶谷底に落ちるしくみ
➋谷底から抜け出すしくみ

で、今回はこれをお伝えしてみようと思うんです。

まず、❶の谷底に落ちるしくみから。

これね~、結論から言いますね。
どんな手を使ってでも望みを叶えさせたい自分の中のドラえもんが、最終手段に使う手だったんですね。

自分の中のドラえもんってなんや?と思われた方はこちらを読んでみてください↓↓↓

私、このままではヤバい・・・と思った時の話 vol.6

コレだけ言われても何のこっちゃ良く分からん!ってなると思うので、私の実体験話、使ってお伝えしますね。

教師をしてた頃の話です。
前の勤務校から転勤して1年目の冬にふと、こう感じたんです。

「あっ、なんか、もう、私、教師辞める時がきたのかも…。」

例のごとく、直感です。

「なんで?」って言われても、「なんとなく」としか答えようがないヤツです。

ほんまにそうで、自分の中でもその時「なんで?」って思いました。
だって、辞める理由、1つもなかったんです。

転勤して1年目のその年は、1年生の担任・バスケ部の顧問をしてました。

担任してるのも楽しかったし、毎日の授業も楽しかったし、部活で指導するのも楽しかったし、同僚の先生たちとも良い関係でお仕事させてもらってたんです。

だから、辞めたいと思うようなネガティブな理由、1つもなかったんです、私にとっては。

むしろ、せっかく1年生を担当させてもらったんだから、せめてこの子たちが卒業するまでは続けていたいなって思ったし、バスケ部の子たちもやる気があって指導するの楽しいからもう少し結果出るようになるまで教えてあげたいって思ってました。

で、そもそも、辞めて何すんの?っていう話です。

それでも、自分の感覚がそんなことを訴えてくるもんだから、一応、念のために、昔お世話になってた事務の先生に聞いてみたんです。

「今の時期(1月末ごろだったかな)に、辞めたいって言ったら、学校に迷惑かかりますかね?」
 →「そうやね~、もうちょっと早めに言ってあげた方が、タイミングとしてはいいかもね~。」
「ですよね~。」

っていうことで、辞めるのはまた今度ってことで、先延ばしにしたわけです。

そこが大きな分岐点でした。
そこから、それまでは何事も問題なく回っていたことが、次々に上手くいかなくなっていきました。

で、ある時こんなことがやってきたんです。

自分と自分の中のドラえもんとで相談することが当たり前になっていた私は、「これ、どうしたらいいかな?」という疑問が湧いてきたら、それと同時に「こうして、あ~して、こうしたら、あ~なるな。」っていう風に、答えも一緒にセットで降りてくるまでになっていました。

それが突然、こうなってしまったわけです。

「いつもどうやってたか分からない・・・。」

で、挙句の果てにこうなりました。
仕事ができないくらいにまで身体が壊れた、と。
仕事を休まざるを得なくなりました。

で、その後、結果的に教師を辞めることになったわけです。

せめて、学年の子たちが卒業するまでは教師を続けてたいと思ってたわけですから、当然、仕事を休むことは私が望んでたことではなかったわけです。

でも、休む直前はもう、体力的に相当キツイ状態で、階段上がるのも手すりを持たないと上がれないような状態でした。

で、部活で練習試合の時、顧問は審判をしないといけませんが、その審判ができなかったんです、ずっと立ってられなかった(体力的に)という意味。
ということは、体育の授業もずっと立ってるのが難しいわけです。(クラクラ目眩がして立ってられないってことじゃなくて、体力的にという意味)。
最後の方は、職員室で座っての仕事もできない状態になってました。

それでも、「これ、ほんまに私がやらなあかんのか?」っていうようなやらないといけないことが山ほどあって、週末も部活が終わった後、夜の23時くらいまで残ってやってるけど、全然終わらない…。
全然授業の準備もできないし、クラスのことももっとやらなあかんことあるのにできないし、部活のことなんて一番後回しにするしかなくて何もできてない・・・。

本当にやりたいこと、何もできてない・・・。

それでも、気力だけで毎日出勤してたわけです。
考えたら動けなくなっちゃうから、何も考えずにただひたすら、やることやる。

でも、あるいくつかのことがきっかけで思い直したんです。

私は自分が休みたくないから出勤してる、自分のために。
でも、今の状況を客観的に見た時に、どんどん生徒に不利益生んでしまってる・・・。
これ、ほんまに私が望んでた状態なのか?
このままではあかん。
仕事休みたくないっていうのは、自分のエゴでしかないな。
これは、私が休むっていう選択をしないとダメだ。

そう思ったんです。

で、仕事を休んだ理由と、仕事を辞めた理由はまた別の話なんですが、ここで書いちゃうとものすご~く長くなっちゃうし、本題から外れそうなんで、またの機会にすることとして、今回の本題に戻ると、こうです。

どんな手を使ってでも望みを叶えさせたい自分の中のドラえもんが、最初は「あなたの進む道はこっちですよ、教師を辞めて新しい道へと進むタイミングですよ」って直感を通して教えてたのにも関わらず、私が無視するもんだから、あの手この手を使って辞める方向へと導いてた。

それでも辞めようとしないもんだから、最終手段として身体を壊すことをきっかけにして辞めざるを得ない状況を作るしかなかった、ということです。

で、結果的に、「教師を辞める」っていう道は、自分の中の本当の望みを実現させるためには避けては通れない道だったということなんです。

先程、仕事を休んだ理由と、仕事を辞めた理由はまた別の話なんですが、ここで書いちゃうとものすご~く長くなっちゃうし・・・(中略)・・・
と書きましたが、やっぱり書きます、笑。

仕事を休んでから、心配してくださった方々からご連絡をいただくことがありました。
で、何度か言われたんです、その時に。

「教師、辞めなや。」

それを言われても、ピンとこなかったんですね、当時の私は。

「ん?なんで私が教師、辞めることになるの?」
って、言われている意味が分からなかったんです。

つまり、こういうことなんです。

当時、心配して連絡してくださった方たちっていうのは、仕事で嫌なことがあって、私が精神的に参って、休んでいると思っていた。
だから、教師っていう仕事が嫌になって辞めようと思ってるんじゃないか、っていう心配をして連絡してきてくれてたわけです。

だから、だいたいこんな話の展開でした。

私(オレ)もな、こんなしんどいことがあってな、教師を辞めようかと思ったことある。
 けど、今は頑張らなあかんなって思って、やってる。
 松川先生、真面目やねん。
 だから頑張りすぎんねん。
 手抜いてやらな。」

そう言われた私は「は~・・・⤵」というしかなかったわけです。
なんでそんな話の展開になってるのかが私には分からなかったので、この人は自分の愚痴を聞いて欲しくて私に連絡してきてるのか?と思ってたくらいです。
愚痴なら、仕事休まなあかんくらい身体壊れてる私じゃなくて、元気な人に聞いてもらえばいいのに・・・って思ってました。

でも、違いました。

私(オレ)もって言うってことは、松川さんそうだよねっていう話だったわけです。

そ、そういうことじゃない~( ̄▽ ̄;)・・・。

「なるほど~、思い込みで決めつけられるってめちゃくちゃ恐いことなんやな・・・」って実感しました。
そうなったら本人の私の話、全く耳に入らないですからね、何を言っても。
むしろ、違うんですよって否定をすればするほど「あっ、本当のこと知られたくないんやな。知らないことにしておいてあげよう。」ってどんどん話がややこしくなって、おかしな方向にいっちゃうわけです。

で、もう、黙ることにしました。

これは、どういうわけで起こっているかというと、つまり、私の姿・状況に、その人の過去(または今)の自分の姿を重ねていたということです。
その人たちが本当に心配しているのは松川さん(=私)ではなくて、過去(または今)の自分です。
だから、それを無意識に感じ取っている私は、心から「心配していただいてありがとうございます。」とは思えなかった。

私が心から本当に「心配していただいてありがとうございます」と思えた人の言葉って「身体大丈夫か?」っていう言葉だったから。

で、このことにご本人たちは気づいていない。
むしろ、親切心でやっていることだから良いことしてるって思ってる。
で、感謝されないと「人の親切心を分からない感謝できない子やな」ってなる。

気づかずにやってるっていうことは・・・

考えたら恐ろしいけど、きっと私も、生徒たち(または他の人たち)に親切心で良かれと思って同じことやっちまってる可能性、高いな・・・と思いました。

きっと、このことを私に気づかせるために起こっていた出来事だったんだと、今の私なら思えます。

でも、訳が分かってなかったその当時の私は、こう思ったんです。

「えっ、なんで私が辞めるの?
 思いつかなかった。
 なるほど、辞めるっていう手もあるのか・・・。」

そこから、というか、そのおかげでというか、仕事に復帰するのか、教師を辞めるのかをよくよく考えてみようと思ったわけです。

で、なんで教師をやってるのか、ということに立ち返って考えたんです。

教師という手段を使って、私がやりたかったことは何だったのか。

それがこれだったっていうことを再認識できたんです。↓↓↓

「人生のピーク」と私が自分で勝手に呼んでいる中学1年生の頃の私がいます。
その頃の私はどんなのだったかというと、それは確かな感覚なのですが、特別な何か(お金とか地位とか名誉とか能力とか)を所有していたということではなく、感覚(精神的にというか)がこの上なく成熟していた感覚があったんです。
(※これについての具体的な話はまた別の記事でお伝えしようと思います。)

この感覚があれば、何だってできるし何にだってなれるって分かっている感じです。
で、これは私が特別なんじゃなくて、誰もが持ってて、誰もがそうあれるということも分かっていました。

だから、私は、自分の可能性も信じているし、だからこそ、他人の可能性も信じられるんです。

で、それを伝えたいと思いました。
これからの自分の人生の時間を使って。

いわゆる逆境、から抜け出した時の話 vol.3

教師を続けてた方がコレ↑を実現しやすいのか、教師をやめた方がコレ↑を実現しやすいのか。

で、その結果、辞めることを選択したわけです。

自分の中のドラえもんは、私よりもずっと前にこのことに気づいてたっていうことなんです。

だから、直感で私に教えてくれていた。

のに、無視したわけです、私は。
だから、身体を壊すっていう最終手段を使うしかなかった。

ごめんよ~、私の中のドラえも~ん。笑

で、コレ↓も良く考えると、私の望み叶えるために起こってたんだってことに気づいたんです。

つまり、中学時代は最低でも15分のゲームに出続けるだけの体力はあったのに、高校時代の私は3分ともたない状態で、もっと言えば、練習を始めるジョグの時点で全身が筋肉痛になって、1本ダッシュすれば100m走を10本ぐらい走り終わった後のような疲労感を感じ、足が踏ん張れなくて切り返しやステップが思うように踏めないような状態でした。

一見、難しそうな望みを実現した時の話❷ vol.2

私、高校に入って、バスケ部に入部した時、こう望んでたの思い出しました。
「試合、しんどいから出たくない・・・。」

中学時代の私は、先輩たちと一緒に試合に出られている喜びと同時に、試合に出るって体力的にも精神的にもしんどいってことを知ってしまったわけです。

だから、高校に入ってすぐはまだ、試合に出なくていい、って思ってた。
それを望んでたこと、すっかり忘れて、私は「こんなに頑張ってるのに、なんで試合に出られへんねや~」って嘆いてたわけです。

私の中のドラえもんは、その望み、見逃さなかったんです。
だから、最終手段の身体を壊すっていう手を使って叶えた。

ということは、あなたがもし、自分の身に望んでないことが起こってるとしたら、そこに過去の自分がオーダーした忘れている望みが隠れている可能性が高いっていうことなんです。

でね、でも、最終手段の身体壊れるって言う手、嫌ですよね。

だから、これを読んでくれているあなたには、あなたの中のドラえもんが最終手段を使わなくて済むように、どうしたら軌道修正できるのかっていうポイントを、私の実体験話を教訓にして、知っててもらえたらと思うんです。

で、その話、次のブログで書きます!

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