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私が力を取り戻すためにやったこと【vol.14】

今回は、前回のブログ(vol.13)の続きです。↓↓↓

私の中のドラえもんは、その望み、見逃さなかったんです。
だから、最終手段の身体を壊すっていう手を使って叶えた。

ということは、あなたがもし、自分の身に望んでないことが起こってるとしたら、そこに過去の自分がオーダーした忘れている望みが隠れている可能性が高いっていうことなんです。

でね、でも、最終手段の身体壊れるって言う手、嫌ですよね。

だから、これを読んでくれているあなたには、あなたの中のドラえもんが最終手段を使わなくて済むように、どうしたら軌道修正できるのかっていうポイントを、私の実体験話を教訓にして、知っててもらえたらと思うんです。

で、その話、次のブログで書きます!

私の中のドラえもんはどんな手を使ってでも私の望みを叶えてくれてた、世にも恐ろしい話 vol.13

「○○がしたいんだ!」

と自分の中のドラえもんにオーダーを出すと、私たちの中にいるドラえもんは
「それならこっちへ行けばいいよ!」
と教えてくれるんです、どんな時も。

それを私たちに教える方法が、直感なわけです。

でも、私はそれを無視しちゃったわけです。

言い方を変えると、自分の直感よりも思考を優先した、ということです。

これって、やっちゃいませんか!?
やっちゃわない人の方が珍しい生き物だと思います、笑。

直感って、何度も言うようにコレです↓↓↓

「あっ、なんか、もう、私、教師辞める時がきたのかも…。」

例のごとく、直感です。

「なんで?」って言われても、「なんとなく」としか答えようがないヤツです。

私のドラえもんはどんな手を使ってでも私の望みを叶えてくれてた、と気づいた時の話 vol.13

でも、私は大事な決断の時ほど直感に従って決めてきたんです、これまでは。

では、なぜ、私は天理大学を選んだのか。

本当の理由は「直感、なんとなく、」なんです。

人に説明する時にはそれらいしい理由で説明していましたが、本当の理由はそれなんです。
私が受験した4つの大学の中で学歴順に並べたら天理大は最下位です。
初めの話題に戻すと、学歴の高い順に体育の教師になれるとしたら、私は体育教師にはなれてないってことになります。

でも、、、

むしろ、私は『天理大学に行ったおかげで』教員になれたんです。

一見、難しそうな望みを実現した時の話❶ vol.1

そう!
直感に従って決断したことは、自分の中のドラえもんが道を作ってくれてたんです。

でも、教師を辞めることに対しての直感は無視しちゃったんです。

つまり、自分の中のドラえもんの意見を無視した。
すると、自分の中のドラえもんとの仲がギクシャクしてきたわけです。
あ~したいな、こ~したいなってことに対して、反論し始めてきた。
(自分の中のドラえもんって何なんだ?と思われた方は下のvol.6のブログ本編をclickして読んでみてね↓↓↓)

でもそれに対して返ってってくる答えが、

「え~、そんなの好きなの?やめとけば?」
「あれが嫌これが嫌とか言わないで、我慢してやれよ!」
「得意なことだけじゃなくて苦手なこともできるように頑張れよ!」
「わがまま言うな!」
「そんな望みは無理だって!」

だったりして、あなたの中にいるのがジャイアン的な存在だったりしませんか?

私、このままではヤバい・・・と思った時の話 vol.6

そう、ジャイアンみたいになってきたんです、一番の大親友で最高の味方であった私の中のドラえもんが。

ということは、案の定こうなったわけです。↓↓↓

で、そうなると、こうなりませんか?

「もう、この人に本音を言うのやめよ。」
「だって、聞いてくれないもん。」
「言ったってどうせ、否定されるもん。」
「言ったところで、私の望み、叶えてくれないもん。」

自分の本音を自分に言わなくなると、当然こうなりますよね。

『自分の気持ちが分からない・・・』

私、このままではヤバい・・・と思った時の話 vol.6

この状態になったんです、また。
できてたことができなくなった。
この状況に置かれた時、メチャクチャ恐くてメチャクチャしんどかったです。
何がって、これこそが谷底でした。

つまり、私たちが谷底に落ちるしくみって、自分の気持ちを無視し始めた時がスタート地点だってことなんです。

自分が何したいか分からない。
だからどうしたらいいか分からない。

で、この状態の時、自分と自分の中の自分との関係は最悪です。
だから、自分のこと信頼できない=自信がない。

自分には力がないと思いこんじゃってる状態なので、外側に答えを見つけようとする。

例えば、
勉強して知識を増やしてみたり。
他人の言ってることの方が信憑性があるように見えたり。

でも、それって、本音とはズレているから何やっても上手くいかない。

で、途方に暮れた時、こう思ったんです。

「私、今、どうなったら心から喜べるんやろか・・・。」

それって、最初、頭で考えても出てこなかったんです。
でも、今が苦しいっていう感覚は分かる。
なんで苦しいんやろかって自分に聞いてみた。
そうすると、こんな思いが出てきたんです。

「元の感覚を思い出したい。」

やっと、出てきたんです、本音の望みが!

それまでも、頭で考えてた望みって色々あったんです。
例えば、お金持ちになりたいとか、仕事成功させたいとか。
でも、なんか、それのこと考えてもワクワクしなかったんですね。
むしろ、そうなってない今の自分と比較して苦しくなる感じで。
どうやったらそうなれるか分からないし、なんか、実現不可能な願いを短冊に書いただけ、みたいな。

でも、「前の感覚を思い出したい。」は、本当にそれが実現したらめちゃくちゃ私、喜ぶやろなって思えたんですね。

つまり、これって、自分の中の自分と仲直りして、のび太くんとドラえもんみたいな大親友・最高の味方の関係に戻りたいっていうのが、私の心からの望みだったんです。

で、それが叶ったら、後は何とでもなるってことも、なんとなく分かってた。

だって、そうなれたら、こうなって↓↓↓

「人生のピーク」と私が自分で勝手に呼んでいる中学1年生の頃の私がいます。
その頃の私はどんなのだったかというと、それは確かな感覚なのですが、特別な何か(お金とか地位とか名誉とか能力とか)を所有していたということではなく、感覚(精神的にというか)がこの上なく成熟していた感覚があったんです。
(※これについての具体的な話はまた別の記事でお伝えしようと思います。)

この感覚があれば、何だってできるし何にだってなれるって分かっている感じです。
で、これは私が特別なんじゃなくて、誰もが持ってて、誰もがそうあれるということも分かっていました。

だから、私は、自分の可能性も信じているし、だからこそ、他人の可能性も信じられる。


いわゆる逆境、から抜け出せた時の話 vol.3

ってなことになって、で、

そこで衝撃だったのが、ミニバスで一緒にやっていたから見慣れているはずの先輩たちのバスケットをしている姿が、すごく、とても、カッコ良く見えたんですね。

で、思ったのが「この先輩たちに混じってバスケット(試合)ができたらめちゃくちゃ楽しいだろうな」っていうことだったんです。

「思った」と書きましたが、思うというより、「湧いてきた」感じです。
身体の奥底からワクワクの感覚がムクムクと湧きだしてきた感覚です。

それで私はバスケットボール部に入部することに決めました。

ここでまず、お伝えしたいのが、身体の奥底から湧きだしてくるような感覚が出てきたら、もうこっちのもんだということです。

気が付けば自然と望みが叶っていた時の話 vol.4

っていうような叶えたい望みが見つかって、そう、もうこっちのもんだ!という感覚に戻れる。

そのことが分かってたからです、感覚的に。

そうなんです、感覚的にってことは、感覚は知ってるってことなんです。

思考で考えてる望みって、頭で考えてること。
理屈っぽい。
~だからこうなった方が良い、~しないためにはこれしといた方が良い、っていうような。
それって、感覚的には本当はあんまりやりたくないなって思ってたりする。

つまり、頭でこねくり回して考え出した望みって、自分が喜ぶ本音の望みからズレてることが多い。
世間的には「すごいね」って言われたり評価されたりするかもしれないけど、ただそれだけのこと。
誰に何と言われようと、これができたら最高~!超嬉しい~!っていうヤツとはちょっと違うヤツ。

それって、ダメなことじゃないけど、そっちに向かってる時、しんどいんです、本当に進みたい道じゃないから。
なんか、力づくみたいな。

だから、私が、自分のやりたいことが見つからない・望みが分からないって思った時にまず1番目にやったことは、『私の気持ちを知る』ってことだったんです。

谷底から抜け出すしくみは、やっぱり基礎の基礎・前提の前提・土台の土台…といった外すことのできない何より大事なポイントに立ち返っるってことだったんです。↓↓↓

ある時、それも場所は確か学校だったと思うんですが、こんなことを、ふと思ったんです。

「私って、人の気持ちはなんとなく分かるけど、自分の気持ち、良く分からんかもしれん…。
 これって、ヤバイかも~!!」

そこから、毎日、というよりも毎瞬毎瞬「この人は何を思っているんだろうか」と自分で自分に問いかけてみることにしたんです。

「何が好きなの?」
「何が嫌なの?」
「何は得意で何が苦手なの?」
「で、それがどうだったらいいの」
「本当の本当は何が良いの?」

目的は「自分を知ること」だったので、何が出てきても、「ふんふん、そう思ってるのか」と、まるで他人事のようにとりあえず受け止めていました。

のちのち思い返してみれば、これがすごく良かったんです!!

何が良かったかというと、問いかけに対して出てきたことを「良い」とか「悪い」とかジャッジしないで受け止めることができたことです。

私、このままではヤバい・・・と思った時の話 vol.6

ぜひとも!!!実践してみていただけると嬉しいです♪

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