今回の話は、これまでお伝えしてきたこと・これからお伝えすることを、もしあなたが実践してみようと思ってくださったとしたら、コレをしてなかったらきっと、どれも上手くいかないだろうというくらい、基礎の基礎・前提の前提・土台の土台…といった外すことのできない何より大事なポイントとなることについてです。
以前の【気が付けば自然と望みが叶っていた時の話 vol.4】の中でこんなことを書きました。
そこで衝撃だったのが、ミニバスで一緒にやっていたから見慣れているはずの先輩たちのバスケットをしている姿が、すごく、とても、カッコ良く見えたんですね。
で、思ったのが「この先輩たちに混じってバスケット(試合)ができたらめちゃくちゃ楽しいだろうな」っていうことだったんです。
「思った」と書きましたが、思うというより、「湧いてきた」感じです。
身体の奥底からワクワクの感覚がムクムクと湧きだしてきた感覚です。それで私はバスケットボール部に入部することに決めました。
ここでまず、お伝えしたいのが、身体の奥底から湧きだしてくるような感覚が出てきたら、もうこっちのもんだということです。
気が付けば自然と望みが叶っていた時の話 vol.4
これを見て、こう思う人がいるかもしれません。
「身体の奥底からムクムクと湧きだすようなワクワクすることって、自分の場合は何なのか分からない・・・」
競技をする上で、とりあえずの目標は立ててはいるけども、本当はあまりピンときていないっていう人は、実は多いんじゃないでしょうか。
競技を通して本当は自分は何がしたいのか、自分にはどんな才能があるのか、何にワクワクするのか分からないとしたら、昔の私と同じ状況にあるかもしれません。
今回の話をヒントにしてみてもらえると嬉しいです。
私は、「中学1年生の私が人生のピーク」と感じるくらい、その頃の私は、願いの叶え方も自分の扱い方もすごく上手かった、ということなんです。
でも、小学6年生の頃の私は別にそんな感じじゃなかったんです。
では、何がきっかけでそんな違いが生まれたのか、とうことです。
小学校を卒業して中学校に入るタイミングって、これまでは知らなかった新しい世界へと足を踏み入れる時期ですよね。
それって、ドキドキもしますが、期待感とか高揚感とかっていう何だか知らないワクワク感ってみなさんの中にもあったと思うんです。
振り返って考えてみると、そのワクワク感を利用した感があります、私の場合は。
「中学校に入ったら心機一転頑張ろう!」っていうやる気の波に乗った気がします。
これって、誰にでも訪れるタイミングなので利用してみるの、いいんじゃないかと思ってます。
ある時、それも場所は確か学校だったと思うんですが、こんなことを、ふと思ったんです。
「私って、人の気持ちはなんとなく分かるけど、自分の気持ち、良く分からんかもしれん…。
これって、ヤバイかも~!!」
そこから、毎日、というよりも毎瞬毎瞬「この人は何を思っているんだろうか」と自分で自分に問いかけてみることにしたんです。
「何が好きなの?」
「何が嫌なの?」
「何は得意で何が苦手なの?」
「で、それがどうだったらいいの」
「本当の本当は何が良いの?」
目的は「自分を知ること」だったので、何が出てきても、「ふんふん、そう思ってるのか」と、まるで他人事のようにとりあえず受け止めていました。
のちのち思い返してみれば、これがすごく良かったんです!!
何が良かったかというと、問いかけに対して出てきたことを「良い」とか「悪い」とかジャッジしないで受け止めることができたことです。
「これは嫌、これが良い」が分かってくると、それを毎瞬毎瞬やっているので、毎瞬毎瞬、選択ができるんです。
「じゃあどうしようか?」
自分と自分で相談するんです。
話は少しそれますが、今、ブログを書きながら、昔の自分の願いをこれもまた自然と自分で叶えていたことの1つだったということを見つけました。
子どもの頃、「ドラえもん」をテレビで見ていて、自分にものび太くんにとってのドラえもんみたいな存在がいてくれたらいいのになぁ、と思っていました。
「自分と自分で相談する」
これって、ドラえもんが自分の中にいた!ってことです。
あらためて今、再確認してますが、ほしいと思ったものはやっぱり自然と叶っていますね。(笑)
話を元に戻しますが、つまり、自分が自分にとっての大親友・絶大なる味方でいてくれたってことなんです。
しかも、それだけでなく、その存在が自分の望みを叶えてくれるんです。
まさに、ドラえもんです。(笑)
自分の本音を伝えて、
それを良いとか悪いとかジャッジしないで受け止めてくれて、
望んでいることを許可してくれる、
それで、
「じゃあ、一緒にやってみようか」って協力してくれて、
「こんなアイデアはどう?」ってこれまでの自分では思いもつかなかったアイデアを出してくれて、
例え上手くいかなかったとしても
「大丈夫だよ、また一緒に頑張ろうね」
ってあきらめずにずっと側にいてくれるんです。
そんな存在がそばにいてくれたら、誰でも心強くいられると思いませんか!?
そして、絶大なる信頼を置きますよね。
ちなみに、これが『自分を信頼している状態=自信がある状態』なんですね。
そして、この自信、自分への信頼は何があっても揺らぐことがありません。
『何かができるから自信がある』という状態は、条件付きの自信なんです。
だから、ぐらぐら足元がグラつくような自信なんです。
どういうことかというと、何かができることを土台にしている自信は、それができなくなってしまったり、自分よりもできる存在が出てくると失われてしまうんです。
だから、その自信だと結果に左右されてしまうんです。
自分の中にドラえもんがいる場合の自信は、違うんです。
結果に左右されないんです。
できないことがあっても、自分よりできる人が目の前にいても、そんなことでは揺らがないんです。
自分と自分の中のドラえもんは、外部の刺激で揺らいでしまうような関係性じゃないんです。
で、この揺らがない自信って、誰にでも持てるってことなんです!!
自信を持つって、難しいことじゃないんです!!
簡単です!
自分が自分の最高の味方であればいいだけなんです!
誰でも自分の中に「自分だけのドラえもん」はいるんです!
もし、その存在に気づいていないとしたら、押し入れの中で寝てるんです。
だから、押し入れ開けて、どら焼き用意して、あなたのドラえもんを起こしてあげてください。
今日のテーマに戻ります。
もし、あなたが、「身体の奥底からムクムクと湧きだすようなワクワクすることって、自分の場合は何なのか分からない・・・」と感じているとしたら、それはもしかすると、あなたの側にいるのはドラえもんじゃなくてジャイアンなのかもしれません。
「私はコレが好きなんだけど…」
「私はコレが嫌なんだけど…」
「私はコレが得意でアレが苦手なんだけど…」
「で、こうしたいんだけど…」
「本当の本当はアレが良いんだけど~!!!」
って、伝えてたと思うんです、最初はきっと。
でもそれに対して返ってってくる答えが、
「え~、そんなの好きなの?やめとけば?」
「あれが嫌これが嫌とか言わないで、我慢してやれよ!」
「得意なことだけじゃなくて苦手なこともできるように頑張れよ!」
「わがまま言うな!」
「そんな望みは無理だって!」
だったりして、あなたの中にいるのがジャイアン的な存在だったりしませんか?
で、そうなると、こうなりませんか?
「もう、この人に本音を言うのやめよ。」
「だって、聞いてくれないもん。」
「言ったってどうせ、否定されるもん。」
「言ったところで、私の望み、叶えてくれないもん。」
自分の本音を自分に言わなくなると、当然こうなりますよね。
『自分の気持ちが分からない・・・』
で、
自分が自分の気持ちを分かってくれないので、自分以外の誰か他人に分かってほしいと思うようになります。
で、
自分の望みを自分が叶えてくれないので、誰かに叶えてほしいと思うようになります。
でも、
他人はその人自身のために生きているわけであって、「私」のために生きてくれているわけではありません。
だから、他人は自分の望み通りに動くとは限りません。
すると、こうなります。
「あの人がこうだったら私は幸せになれるのに!」
でも、私たちがそういう状態にある時、本当に変わってほしいのは他人じゃなくて、自分の中にいるジャイアン化した存在にドラえもんに戻ってほしいっていうことなんです。
ジャイアン化した自分の中の存在がドラえもんに戻ってくると、だんだん自分に本音を言ってくれるようになります、私がそうだったように。
で、私が自分の気持ちが分からないことを「これって、ヤバイかも~!!」って思えたのは、「中学校に入ったら心機一転頑張ろう!」っていう望みを叶えるためには、今のままでは叶えられないと自分の中のドラえもんが判断したからだと思うんです。
頑張るって言っても、何を頑張るのかが明確じゃなかったんです、その時点では。
そのためには、何を頑張りたいのかを知る必要があったんです。
で、そのためには、
「何が好きなの?」
「何が嫌なの?」
「何は得意で何が苦手なの?」
「で、それがどうだったらいいの?」
「本当の本当は何が良いの?」
を知る必要があったんですね。
それをすることで出てきたのが、
「この先輩たちに混じってバスケット(試合)ができたらめちゃくちゃ楽しいだろうな」
っていう身体の奥底から湧きだしてくるようなワクワクで、
「私はそのために心機一転頑張りたい!」
だったということだったんですね、
私の場合は。
参考にしてみていただけると嬉しいです。
コメント