他人の問題と自分の問題の境界線

他人の問題と自分の問題とを区別することは、感情を持っている私たち人間にとってはなかなか難しいことだったりします。

以前、こんなことがありました。その子は、責任感も強く、心の優しい、好かれる素敵な子でした。

ある時、あまり元気がなさそうな顔をしていたので、声をかけてみたら、こんなことで悩んでいたのです。「友達が最近部活にこなくなってしまった。」と。その友達は小学生の頃から仲の良い友達で、一緒に頑張っていきたいと思っているのだと。何か手伝おうか聞いてみましたが、その時は、もう少し自分で頑張ってみる、ということでした。

数日後、もう一度声をかけてみました。「あれから、どう?」と。やっぱり浮かない顔で、「声をかけたりしてるんだけど、やっぱりダメ・・・。」だと。

その時に私は、「友達のために力になってあげたい、と思うことはとても素晴らしいことだけど、部活に行きたくない(行けない)のはその友達自身の問題であって、あなたがしんどくなることはないんだよ。」という話をしました。

人にそんなことを言っている私自身も、他者自信の問題を自分の問題にしてしまって、勝手に苦しんでいることが多々あります。(例えば、以前のBLOG記事『自分を変えない勇気』にも書いたように・・・)その子の場合は、どんな理由でその友達のことで苦しく思っていたかは分かりません。だけど、他者の問題で自分が苦しむことなく、その他者の力になることは可能です。

しかし、どうしても苦しんでしまう、という時、それは、他人の問題と自分の問題の境界線を踏み越えてしまっています。

例えば、私の話(参照:BLOG『自分を変えない勇気』)を例にすると、「相手が不機嫌になるという」相手自身の問題を踏み越えて、自分の問題「不機嫌になると自分のやりたいことがやりたいようにできなくなる」にすり替えてしまっていたのです。そのように、すり替えることがなければ、私の中では「相手が不機嫌になる」=「苦しみ(問題)」にはならなかったのです。そして、そんな固定観念がなければ、きっとこれまでの経験の一つ一つが違った意味の体験になっていたでしょう。

このように、境界線を踏み越えないようにするためには、やはり、『自分に対する信頼度』を上げることです。自分自身を心から信じることができていれば、他人の苦しみを自分の苦しみにしてしまう必要性はないですよね。

そして、私が「他人の不機嫌」に左右されなくてすむようになった今、これまでよりも相手の苦しみを理解することができます。自分が苦しまずに、相手の本音を理解することができれば、本当の意味で相手のために自分ができることは何かを考えることができます。

相手の問題に自分の苦しみを重ねていた頃の私は、相手のためにと思ってしているようで、実は、自分がどうしたら苦しまなくてすむかを考えていたのです。他者の言動で自分が苦しいと感じる時、一度、境界線を越えていないかを見てみてください。

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