「人の目」を気にしてチャンスを逃していませんか?

今日のテーマは『恥も外聞もかなぐり捨てる』です。

辞書を引いて調べてみると『恥も外聞もかなぐり捨てる』とは、
・人目を気にしている余裕がないさま
・目的を達成するためには対面など
「気にしていられないほど必死であるさま」とあります。

あなたにとって、「人目を気にすること」と「競技に対しての想い」とどちらの方が重要ですか?

想いを実現化するにあたって、「人目を気にすること」は案外大きな壁になり得ます。

人から
・カッコイイと思われたい
・好かれたい
・賢いと思われたい
という思いはあなたの中でどの位の優先順位にあるでしょうか?

もし、それらが1,2番を争うのであれば,あなたは自らの限界地点を下げてしまっているかもしれません。

今日は、私の話を例にご紹介したいと思います。

私は、小学校4年生の頃からバスケットボールを始めましたが、知らずに入ったチームはそれまでずっと全国大会に
出場しているようなチームでした。

周りには上手で運動能力の高い人ばかりです。

私はというと、全然運動能力は高くないしたいして上手くもありません。

それでも、中学に入ったら先輩たちの中に一人混じって試合に出なくてはならなくなりました。

恥ずかしいとか、カッコ悪いとか、できないとか、言ってられない状況です。
とにかくやらなければならない環境に置かれてしまいました。

運動能力の高くない私が、どのようにすれば先輩たちの足を引っ張らずにチームの得点や勝利につながるパフォーマンスができるのか必死で考えやり続けました。

その頃の経験が「恥も外聞もかなぐり捨てる」という感覚を持つことができたきっかけになったかもしれません。

高校に入ると、なぜか体力がグッと落ちランニングでも筋肉痛になるくらい身体がおかしくなってしまったのです。
ひどい貧血だったのですね。

だから、試合にも出られないしもっと上手くなりたいけど身体がついていかない…。

高校生の時の私の姿を知っている友達からすると、私が体育の教師をするなんて考えられないのです。

「よりによってなぜ運動が得意でないあんたが!?」

私の中で、「人に笑われたくない」(恥)という思いが、「体育の教師になる」という想いよりも優先順位が高ければ
恐らく体育教師になることに挑戦していなかったでしょう。

思うように動かない身体を酷使して3年間部活を続けてきた私は、ちょっとここらで休憩したいという思いから浪人することを選択しました。

勉強はそこそこできました。
某私立有名大学にも合格しました。

しかし私が選択したのは、地元で交通費もかからないし家から近いからバイトもしながらバスケを続けることができて
体育の教員免許が取得できる現在の母校です。

その当時の私にとって重要だったのは、「学歴」(外聞)よりも「やりたいことを実現するために何が一番最善なのか」だったのです。

このようにして、運動能力がたいして高くもない私が体育教師になるという目的を実現したのです。

私は、今できないことがあることをあまり嘆かわしく感じていません。
必要なら後からできるようになればいいと思っています。

「体育教師になる」も私にとってはやりたいことを実現化するための一つの『手段』でした。

私がやりたいことは「その人自身の力を発揮させること」です。

そのための最善の手段が当時の私にとっては体育教師でしたが、もっと良い手段を見つけた私は退職して独立することを決めて今に至ります。

私がもし、
・浪人するなんてカッコ悪いとか、
・運動能力が高くない私が体育の
 先生になったらどう思われるだろうとか、
・有名大学に行った方が
 すごいと思われるんじゃないかとか、
・年下の子たちに先輩扱いされないなんて
 プライドが許さないとか、

そんなことを気にしていたとしたら私が体育教師になることはなかったでしょう。

教員時代に気づいた多くの事柄を得ることもなかったでしょう。

あなたは、「他人からどう思われるか」に気を取られて、せっかくのチャンスを自ら逃してしまっているようなことは
ありませんか?

だとしたら私はとてももったいないと思うのです。
なぜなら、あなたの人生は他の誰でもないあなただけのものなのですから。

やると決めたら、今はそれが困難に見えても方法はいくらでもあります。

もし、本当はやりたいと思っているのに他人にどう思われるかということを気にして諦めているのだとしたらあなたのリミットを解除してみませんか?

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