日本では、謙虚であることが美徳とされています。
辞書を引くと、「謙虚とは、控えめでつつましいこと。素直にへりくだって相手の意見を受け入れること。」とあります。
また、「へりくだるとは、相手を敬って自分を控えめにする。謙遜する。卑下する。」とあります。
この謙虚であることは、相手の自尊心を傷つけないためのものです。
つまり、この態度は「あなたの力はすごいです、それに比べて私なんかは足元にも及ばない人間です。自分の考えよりもあなたの考えの方が確かなものであるに違いないです、だから私はあなたの意見を素直に受け入れます。」ということを伝えるためのさまです。
しかし、謙虚でないことによって自尊心が傷つくのは、自分に自信がない人だけなのです。
自分には力があると心から信じている人は、他者からそんなことを言ってもらったり態度で示してもらわなくても分かっているのです。だから、謙虚な態度を相手にとってもらわなかったとしても自分の自尊心が傷つくようなことはありません。そんなことで揺らいだりするような自信ではないからです。
しかし、口では「自分はすごいのだ」ということを言っていても本心は不安で仕方がないという人は、自分のことをすごいと言ってもらえることで何とか安心感を得ています。だから、相手が謙虚な態度で自分に接しないことがあると、もしかして自分は力のない人間だと思われているのではないか、という不安が沸いてきます。その不安の原因は、本当は自分自身が自分の力を信じていないことですが、「お前がそのような態度をとるから自分は不安になってしまうじゃないか!」と相手のせいにしてしまいます。本当は、相手の問題ではなく自分の問題なのに、です。
このように、自分に自信のない人は、自分に従順でない人を嫌がります。
なので、そんな人の前で『私は自分に自信を持っています。まだ実績はありませんが、自分はいつか必ずやると信じています。そして、あなたの言っている事よりも、自分の考えの方がきっと自分には合っていると思います。だからあなたの考えよりも、自分の直観を信じて実行に移します。』なんてことを言ったら激怒されることでしょう。
しかし、『自分を信じている』ということは、そういうことなのです。
そして、また、自分の直観を優先したとしても、相手の考えや存在を見下しているわけではありません。自分と同様に相手のことも尊重しているのです。
しかし、そのことを自信のない人には分かりません。なぜなら、自分は他者より下か上かでしか判断していないからです。自分と同様に他者にも価値がある、もしくは、他者と同様に自分にも価値があるという感覚が当たり前の感覚ではないのです。
「ビッグマウス」が素直に認められる社会になった時、自分に自信を持つことが許される社会になることでしょう。それには、一人一人が自分を信じるということが必要です。すでに自分の力を信じている若者たちの力をつぶさないためにも・・・。
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