今日のブログは「あなたは選手をどの前提で観ていますか?」というお話です。
物理学の分野では「量子論」というのがあります。
意識について語る時にこの量子の性質は外せない分野でもあるのですが、その量子論の視点から意識の性質を捉えた時に
「意識は観測者によって影響を受ける」
ということが言われています。
これはどういうことかというと、観測者の期待が観測される者の意識に影響を与えるというものです。
これは、量子というエネルギーの性質がどうのこうの・・・という科学的なお話でも説明できるのですが、それよりもこんな風に説明することができるのではないかと私は思っているのです。
例えば、自分っていう人間にはいろんな側面がありますよね?
誠実な部分もあれば逆にいい加減な部分もあるという感じです。
それがこの人(Aさん)の前では自分は誠実な自分モードになっている、別のあの人(Bさん)の前ではいい加減な自分モードになっている、ということってありませんか?
だから、Aさんには自分は誠実な人だって思われているし、Bさんには自分はいい加減な人だと思われている。
どちらも同じ1人の人間なのだけど、誰と一緒にいるかによって発揮する自分の側面が変わる。
それは、Aさんは「誠実な人」という期待を持っていて、Bさんは「いい加減な人」という期待を持っていて、その期待によって、私という1人の人間のそれぞれの側面を引き出しているという風に捉えることができます。
ということは、指導者が選手に対してどんな視線を送っているかによって、選手たちの中のどの側面を発揮させているかということに影響を及ぼしているということが言えるのです。
「期待」という言葉を使いましたが、ニュアンスとしては「信念」という風に言った方がいいかもしれません。
選手を「できる」という前提で観測していると、選手の中のできる側面が発揮されることに影響を及ぼすし、選手を「できない」という前提で観測していると、選手の中のできない側面が発揮されることに影響を及ぼすということです。
そのような点においても、指導者の持っている価値観や信念は、選手の能力発揮に多大な影響を及ぼしているということなのです。
逆に、選手の側に立ってみた時には
「望ましくない他人の期待に対して影響を及ぼされないためには、自分自身が意図を明確にしておく必要がある」
ということが言えます。
自分以外の大勢いる他人は、様々な価値観や信念を持っていますので、いちいちそれらに影響を及ぼされないためには、
自分が
どこに向かって進んでいるのか
何を望んでいるのか
どうありたいのか
という意図を明確にしておくことで周囲に振り回されずにすむようになります。
指導者も選手も両者とも「明確な意図」を持っておくことが、それぞれの本来の魅力や能力を発揮させることにおいては
とても重要な役割を担っています。
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