偏見や差別、いじめがどのようにして生まれているのか

自分の話を聞いてくれいている人が、「それ分かる~」「私も一緒~!」と共感しながら聞いてくれていると、気分は悪くないですよね。

だからと言って、共感できないのに共感しているふりをしながら話を聞くことは、うそをついているという状態です。日本には『本音と建前』という文化が根付いているので、その場の空気を重んじてやったことのある人がほとんどではないでしょうか。

ともすれば、私たちは、共感することが相手を尊重することである、と捉えがちです。

しかし、そうなると、共感できないことに対しては相手を尊重できないということになってしまいます。相手の気持ちが理解できるから相手を思いやれるのではなくて、自分と相手の違いも含めて相手を思いやれることができれば、例え相手の話や気持ちが自分の考えとは違ったとしても、「自分と違いのある相手」自身を尊重することはできます。

しかし、こんな場合に自分がある時、共感できない相手を尊重することは難しいでしょう。

例えば、自分自身で強く禁止している事や決まり事を相手がやっている時。

この禁止事項や決まり事とは、例えば、「遅刻は決してしてはいけない」とか「子どものために離婚はしてはいけない」とか「新人は我慢するべきだ」とか「年下の者は年上の言うことを聞くべきだ」というような、『~するべきではない』や『~するべきだ』といったことです。

これは、自分にとって大事なことであったりメリットがあることだからこそ、自分に課している約束です。しかし、その約束を守れなかったとすると、自分自身を裏切ることなります。そうすると、約束を守れなかった自分を自分自身は信頼できなくなってしまいます。人は、自分自身に信頼されないまたは、自分を信頼できないことはとっても恐いことなので、必死に守ろうとします。だけど、以前のブログ記事も書いたように、人は全ての要素を持っていてそれを無くすことはできません。なので、時には自分に課していることをしたくない時だって訪れます。すると、心の中でこんな状態ができあがります。(一例です)

きっかけ→ 自分に対して約束事を創る(無意識)

→ 約束していることをやりたくない時がある(無意識)

→ でも自分を許せなくなるのはいやだ(無意識)

→ それを平気でやっている人がうらやましい(無意識)

→ 自分はできないのに許せない(無意識)

→ 怒り(自覚)

この一連の連想ゲームは一瞬のうちに行われているので、自分の決めた禁止事項をやっている他者を見たり聞いたりした瞬間に反射的に怒りが沸いています。だから、自分では理由が分からないけども、この人を見ていると無性に腹が立つということが起こります。そして、人は怒りを感じると同時に、自分を守るために反射的に攻撃をしています。この、「攻撃」というのは、具体的に何かをするだけでなく、心の中で相手を批判したり責めている状態も含まれます。

これが、偏見や差別、いじめが起こるしくみです。

そして、自分が勝手に決めていることをもとに相手を批判しているわけですが、自分の思いは正しいと固く信じて疑っていないので、自分の偏った見方によってそれが引き起こされているとは自覚していません。なので、偏見を持っていても、差別をしていても、いじめをしていても、本人は自覚のないことがほとんどですし、本気で相手が悪いからだと信じています。

また、「自分は決して、偏見や差別、いじめをするような人物ではない」ということを固く信じている場合には、なおさら他人からそれを指摘されたとしても認めることは難しいでしょう。

相手が、自分が強固に守ろうとしている自分の作った約束事を破って平気でいる時、許すことのできない怒りがこみ上げてきます。

そうなった時、決して相手に共感することはできないでしょう。それどころか、そんな自分が共感できないことを平気でしている相手を、反射的に(心の中であったとしても)攻撃しています。

それでは、相手を尊重するという状態とは程遠いですよね。

本来、人は、自分と違いがあったとしても他人を尊重することは可能です。でも、自分自身の中に「尊重することができないと思っている姿」を強く信じている時、他人の自分との違いを許すことができなくなってしまいます。

そして、『~するべきではない』や『~するべき』は、多かれ少なかれ誰もが心の中に持っているのです。これが、いつまでたっても、偏見や差別、いじめが無くならない理由です。

誰もが、「偏見や差別、いじめはいけないことだ」という認識は持っているでしょう。しかし、それがどのようにして生まれているのかというしくみを理解している人は少ないのです。

そして、ニュースを見ては「なぜこんなことをする人がいるのか理解が出来ない」と思っている人がたくさんいることでしょう。しかし、それは特別な誰かが起こしているのではなく、実は、誰もが知らず知らずのうちに、程度の差はあれど同じことをしているということを自覚している人は少ないのです。偏見や差別、いじめを起こす人は、自分とは違う特別な誰かが起こすだと捉えている限り、偏見や差別、いじめがこの世から無くなるということはないでしょう。

自分自身を信頼し、尊重することができている時は、他人を攻撃する必要が生まれません。もし、あなたが他人を尊重したいけどできないと思っているのであれば、まずは自分自身を尊重できるようになることが早道でしょう。

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